▶ 幸せを減らす罪悪感が生まれる時

長谷川
カウンセラー長谷川

何に「罪悪感」を

感じるのかは

人それぞれ違うんだよ。

柴犬
柴犬うみ

分かる!ニンゲンと

犬でも違うもんね。

自分では、なぜだか分からない

けど、人生がうまくいかない。

裏目に出ることばかりしてしまう。


どうしても、自分が思うように

動けない、踏み出せない。


その原因を作っているのは

心に抱えている

「罪悪感」かも知れません。


心理カウンセラー

長谷川 貴士です。

 

==< もくじ >====

1:「罪悪感」が生まれる理由

2:「罪悪感」を生む
   心の中のルール

============

 

 

1:「罪悪感」が
  生まれる理由

 

「自分は悪いことをしてしまった。

 申し訳ない。」


こう感じる時、私達は、

心に「罪悪感」を抱きます。


それでは、私達が

「自分は悪いことをしてしまった。

 申し訳ない。」


こう思ってしまう裏には

どのような心の働きがあるのでしょう?


ヒントは以下の例です。


< 例 >

路上にゴミをポイ捨てする人と、

絶対にゴミのポイ捨てをしない人がいます。


路上駐車をすることが平気な人と

律儀に駐車場を探す人がいます。


横断歩道を青信号を待って

横断する人と、


安全が確認できれば青信号を

待たずに横断する人がいます。

( 例ここまで )


上記の例にある前者と後者の差は

どこにあるのでしょう?


それは、

「自分の心の中にある

 ルールの差です。」


「自分の心の中にあるルール」の差が、

行動の差として表れています。


「絶対にゴミのポイ捨てをしない人」は

「ゴミを路上に捨てない」

心の中にこのルールを持っています。


もしくは、

「他人に迷惑が掛かることはしない」

心の中にこのルールを持っているかも

知れません。


「ゴミを路上に捨てない」

「他人に迷惑が掛かることはしない」


心の中にこのルールを持っている人が、

路上にゴミを捨てたのなら、       

どのような気分になるでしょうか?


ルールを破った自分を責め、

「罪悪感」を感じ始めます。

ソワソワして落ち着かない気分になります。


前者とは逆に、自分の心の中に、


「ゴミを路上に捨てない」

「他人に迷惑が掛かることはしない」


心の中にこのルールを持っていない人は、

路上にゴミを捨てても、  


自分を責めることはありません。

気にしません。気になりません。


上記の例の前者と後者を比較することで

「罪悪感」が生まれる時の

心の働きが明確になったと思います。


私たちの心に「罪悪感」は

生じる時とは、


「心の中に持つルール」

を破ってしまった時です。

 

 

私たちが持っている

「自分の心の中にあるルール」は、


規範と呼ばれたり、倫理観と呼ばれたり、

社会通念や、常識と呼ばれたりします。


私たちの「心の中にあるルール」

(=規範、倫理観、社会通念や、常識)

は、基本的には、一人、一人、

別々で異なります。


しかし、家族や、地域、国、信仰などの

グループの単位で同じ

「心の中にあるルール」を

持つこともあります。


< 例 >

「お金を寄付するかどうか」


アメリカ人と日本人は

一人当たりの平均値で、

1年間に寄付する金額に

10倍ぐらいの差があるようです。


アメリカ人は日本人の

10倍の額を寄付するようです。


この事実の背景には、

アメリカ人には、

文化的背景(社会通念)として、

「寄付することは立派で

 かっこいい」と感じる文化や、


信仰上の背景(倫理観)として、

キリスト教の価値観などが

あると言われています。


多くの日本人には、上記の

「寄付すること」の背景である

社会通念や、倫理観、つまり、

「心の中のルール」は

十分にはありません。


その分、寄付をして

いないことに対しての

「罪悪感」が、


アメリカ人と較べると

小さくなります。


多くの日本人は寄付をしていなくても、

「罪悪感」を持たずに

気にならない人でいられます。


もしくは、寄付の行動を

起こすには至らないくらい、

小さい「罪悪感」しか持つことがなく、

寄付をしなくとも平気です。

( 例ここまで )

 

 

「自分の心の中にあるルール」とは、

シンプルに言い換えると、

「善悪の基準(ものさし)」のことです。


「善悪の基準」とは、

何がして良いことで、


何がしてはダメなのか?を決める

基準のことです。


実は、この私たちの心の中にある

「善悪の基準」が無ければ、


この世の中に、良いも、

悪いも存在しません。

善悪はありません。


何がして良いことで、

何がすると悪いことで、

「罪悪感」を感じることなのかは、


私たちそれぞれの

「心の中にあるルール」、

つまり、

「善悪の基準」次第です。

 

 

私たちの

「心の中にあるルール」、

(=「善悪の基準」)は、

変わることがあります。


「心の中にあるルール」、

(=「善悪の基準」)は、

変わることで、


それまでしても良かったことが、

してはダメなこと、

「悪いこと」に変わって

しまうことがあります。


< 例です >

「タバコ・喫煙について」


今から30年以上前、

元号が「昭和」だった頃は、

お店でも、路上でも、電車でも、

航空機の中でさえ、

喫煙することができました。


至るところで、

タバコを吸っている方が沢山居て、

どこでもタバコの煙と、

灰皿がありました。


喫煙者の方々は、今よりも、

堂々と、少しも臆することなく、

「罪悪感」を感じる必要もなく、

どこでもタバコを吸われていました。


「昭和」だった頃の、

私たちの善悪の基準では、

大人が喫煙することは、

(それほど)悪いことでは

ありませんでした。


しかし、それから時代は進み、

「平成」となり、

タバコの煙の害が喫煙習慣のある

本人だけなく周囲にもけっこうある。


このことが広く知られるように

なってからは、様々なルールが増えて、

喫煙することが「悪いこと」と

見なされる場所が増えていきました。


私たち(日本人)の心の中に、

「喫煙は他人の迷惑になり、

 自分の健康にも悪影響がある

 悪いこと」

この「ルール」ができました。


喫煙習慣がある方々が、

「(喫煙者である自分は、)

     肩身が狭いよ」

こう言われているのを

度々聞いたことがあります。


「肩身が狭い」、とは、

肩を丸めて、身を潜めて

目立たないようにしなければ

ならない感じがしていることを

表す言葉ですね。


喫煙者の自分は、
自分の健康にも、

周囲の人にとっても、

悪いことをしているから、

「罪悪感」を感じて

堂々とはしていられない。


「肩身が狭い」と言う言葉で、

こう感じていることを

言い表していますね。


喫煙することについて、

「肩身が狭い」と感じる

喫煙者の方々は、


喫煙が自分の身体のみならず、

周囲の人達にとっても、

健康に害がある「悪い」ことだと

自覚することで、


「喫煙は悪いこと」

この「心のルール」=「善悪の基準」、

を持っています。


「令和」となった今では、

喫煙している人は、喫煙所でしか

ほぼ目にすることが無くなりました。


社会のほぼどこでも喫煙することが

できた「昭和」にあった、


「大人の喫煙は(それほど)

    悪いことではない」


この私たちの心にあったルール、

善悪の基準が、「平成」になって、

「喫煙は悪いこと」に変わった結果です。


私たちが、「昭和」の時代には、

何も感じずに、平気だった。

喫煙所以外の喫煙は、


「令和」の今では、「悪いこと」となり、

「罪悪感」を伴うものとなりました。

 

( 例ここまで )


上記の喫煙習慣の例で分かるように、

「罪悪感」は、私たちに

「善悪の基準」があって、

始めて生まれます。


私たちに「善悪の基準」が無ければ、

「善悪」も「罪悪感」もありません。


私たちの「善悪の基準」は、

社会の風潮(社会通念)や、

個人の価値観などが変わると、

それに合わせて変わります。


かつては、私たちにとって

「悪いこと」ではなく、

「罪悪感」を抱くことなく、

楽しむことができた、

公共の場での喫煙が、


公共の場のルール(法律など)や、

社会通念(モラル、マナー)が

変化したことで、


「悪いこと」や「罪」になり、

「罪悪感」を抱く行為に変わりました。

 

==============

< ポイント >

「罪悪感」が生まれる理由とは

私たちの心の中に「善悪の基準」

があるから。

==============

自分の心の中にある「善悪の基準」

に照らし合わせて、

「悪いこと」と感じることを、

することで、

「罪悪感」は生まれます。

=============

 

 

2:「罪悪感」を生む
    心のルール

 

=============

<ポイント>

 「罪悪感」は私たちの心の中に

「ルール」(=「善悪の基準」)

があることで生まれる。

=============


一言で言ってしまえば

これだけのことなのですが、

この「ルール」

(=「善悪の基準」)が曲者です。


というのも、
私達は心の中には、

言葉になっていない、

自分でも自覚の無い、

膨大な量の「ルール」を

抱えているからです。


私達の心の中にある、

言葉になっていない、

膨大な量の「ルール」は、


無自覚な好みや、
こだわりとして、

かいま見ることが

できるようなものです。


< 例 >

「結婚したなら、女性が

 ご飯をおいしく

 作らなければならない。」


このこだわりを

心の中に抱えているので、

料理が苦手な自分は

ダメで、悪くて、「罪」。


このような「ルール」

(=「善悪の基準」)を

抱えているために、


自分に自信が持てない、

結婚に対して前向きに踏み出せない。


( 例ここまで )


上記のような自分でも

気が付いていない、


無自覚な「罪悪感」を

抱えていらっしゃる方も

実は少なくありません。


今の時代であれば、

ちょっと古風な考えと

感じられる方もあるかも知れません。


自分とは無縁とも思える

方もいらっしゃると思います。


しかし、上記のような思いから

「罪悪感」を抱いてしまうことは

実際には少なくありません。


それは、

「結婚したなら、

 女性がご飯をおいしく

作らなければならない。」


この「ルール」は、私達からの

お母さんへの愛のために

出来ている「ルール」だからです。


もしくは、お母さんへの

愛が裏返ってしまったことで、

お母さんへの憎しみのために

出来ていることも多い

「ルール」です。


お母さんへの愛や、その愛が

反転してしまった、

お母さんへの憎しみは、

多くの人にとって馴染みのある感情です。


例えば、自分のお母さんは、

自分たちのためにいつも美味しい

母の味でごはんを用意し続けてくれた。


そのお母さんを愛しているならば、

自分も同じことがしたくなります。

これが、私たちの人情です。


母を手本として、

母と同じように振舞うことは、


母がよろこぶことであり、

母から受け取った愛の

お返しになると、

私たちの心は知っています。


お母さんのように料理を作る女性は、

「お母さんありがとう。

 お母さんのようなお手本があって、

 私は本当に幸せです。」

このように無自覚の内に感じています。


私たちの心は、上記の思いが母を安心させ、

喜ばせることを知っています。


逆に、母がしていたことが出来ない時、

私たちは、自分がする必要があることを

十分にできていない感じがして

「罪悪感」を抱きます。


「自分も母親と同じように

 振舞わなければならない」


これが、私たちの心の中の

「ルール」(「善悪の基準」)です。


また、一方で、母親が忙しく、

余裕が無かったために、

手料理をあまり作ってもらえず

淋しい思いを募らせていた「娘」が

いたとします。


そのような時、私たちの

お母さんへの愛は、反転して

憎しみに変わってしまいます。


子供から両親への愛には「期待」が

混じっています。

その「期待」が裏切られることで、

愛は憎しみに反転します。


愛が反転してしまった憎しみの表現として、

「私は母親と違って、美味しい料理を

 ちゃんと家族に作ってあげて見せる」と、

意地になって、こだわることがあります。


それが出来ないとき、

私たちは、自分も自分が

責めている母親と同じであることで、


母だけでなく、自分をも責め始めて、

料理がうまくできないことに

「罪悪感」を抱き始めます。


この「罪悪感」は、

「母親は子供の期待に

 応えて手料理を作るべき」

この「ルール」が心にある結果です。


上記の「料理」を、他の家事や、

子育て、愛情をかけること、

笑顔でいること、などに

置き換えることもできます。


上記の例はどう感じたでしょうか?

私たち心は、上記の例のような

仕組みになっています。

 

 

 

 

私たちは、自分が無自覚の内に、

どんな「ルール」(=善悪の基準)に

縛られているのか?

ほとんど分かっていません。


私たちは、自分がどんな

「罪悪感」を抱えているのか

ほとんど分かっていません。


しかし、私たちは、

自分でも自覚できていない、

自分の心の中の

「ルール」(=「善悪の基準」)や

「罪悪感」に、

自分自身で気が付ける時があります。


それは、自分にもできても

良さそうだと思えることが、

なぜか?自分にはできない時、です。


その裏には、

「ルール」(=「善悪の基準」)や

「罪悪感」があることが多いです。


「罪悪感」は

「幸せへのブレーキ」であり、

「マイナス方向へのベクトル」

だからです。


それでは、なぜ?

そう言えるのか?


次回は、私たちに、

幸せになることへの二の足を

踏ませて、進ませない、

「罪悪感」の作用について、


より詳しくお伝えしていきますね。

次回もお楽しみに(^^)/

 

 

この記事を書いた人


長 谷 川 貴 士(はせがわ たかし)
大阪府箕面市で心理カウンセリングを提供している、
国家資格(公認心理師)試験合格・心理カウンセラー
ドイツに渡航するなどして、学び身に付けた
カウンセリング手法は、日本ではまだ 珍しく、しい。
既存の方法では 十分に 心の課題 を 克服することができて
こなかった、不調 人間関係方々にとって、
これまでにない しい手法は、希望 作る
ことの しい機会 となっており、特に ばれている
1980年生まれ。妹が1人いる。既婚。愛犬は 柴犬うみ。
趣味:日帰り登山、家庭菜園。日課:ジョギング。
自己紹介

さ ら に し く↓↓↓

> 心理カウンセラー・長谷川 貴士ってこんな

保護犬柴犬うみ 物 語

 

▶「罪悪感」は幸せへの 強烈なブレーキ

============

>ひとつ前の記事に戻る

「幸せになれない裏側にある罪と罰」

============

>ブログ記事一覧へ

 

お客様の声はこちらから

 

ページトップへ ページトップへ