カウンセラー紹介
心理カウンセラー
長谷川 貴士
- 1980年長野県生まれ
秋田県育ち、
関西在住16年以上 - (血液型)A型
- (太陽星座)双子座
(月星座)乙女座 - 明治大学商学部卒業
心理カウンセリングの
主な研修履歴
公認心理師 国家試験 合格
公認心理師とは?
文部科学省と厚生労働省が共管する
心理職の国家資格です。
棚田克彦 プロセラピスト養成講座 修了
Hellingerdays(へリンガー・デイズ)参加
ドイツで開催された、心理の研究成果を
学び体験する11日間の国際的なセミナー
(世界中の地域から600名以上が参加し、
7か国語で同時通訳が行われていました)
へリンガー夫妻
ファミリーコンステレーションWS
台湾開催参加、東京開催参加
他、多数のワークショップなどに参加し
研鑽を続けている。
- これまでの実績や経験
- 月間400時間労働、腫瘍摘出手術、就職詐欺から私がカウンセラーになるまで
- 人生での主な出来事
- 子供の頃から学生時代までのこと
「もう人生辞めたいな。」 - 社会人になってからの話
人の好意を受け取れずパニックに- 新卒入社の会社で心を病む
惨敗。10歳は老け込む - 就職詐欺に遭い行き場を失う
自分の意見が言えない、
何も聞けない - あぁ、これで人生終わった
仏壇職人を目指す? - 人生が変わるきっかけとの出会い
耳が成長する食事方法?なにそれ - もう、一人、農家になろう
イノシシやシカ、サルとの激闘 - 心理カウンセリングと出会い、
本当の自分と出会う
人は変われる!
本当に大きく変われる!
- 新卒入社の会社で心を病む
- 長谷川貴士の想い
人は変わることができます
1.心理カウンセラーとして
のこれまでの実績や経験
カウンセリング提供実績8000時間以上
結果を出さなければ、お客様から
ご満足頂けず、ご利用もして
頂けないフリーランスの
プロカウンセラーとして、
10年以上活動させて頂いています。
公開カウンセリングセミナーを開催
日本の5つの都市(大阪/東京/京都/金沢/宮崎)
でこれまでに50回以上開催し、
150名以上(延べ人数)に公開の場で
心理カウンセリングを提供させて
頂いてきました。
心理カウンセリングの
トレーニングプログラムを
カウンセラー向けに提供
これまでに延べ80名以上の
カウンセラー様にご利用頂けています。
その他に・・・
- マクロビオティック実践歴16年以上
- ホ・オポノポノ実践歴16年以上
- 瞑想実践歴10年以上
- 断食経験40日以上(延べ日数)
2.月間400時間労働、
腫瘍摘出手術、就職詐欺から
私がカウンセラーになるまで
人生の主な出来事
誰の人生もそうだとは思うのですが、
私のこれまでの人生も山あり谷ありでした。
【23才】:新社会人生活で、
さっそく心を病んで、
わずか入社6ヶ月で会社を退職
実家(秋田県)を遠く離れた、
東京の私立の大学にまで
通わせてくれた、家族を失望させ、
心配をかける。
【26才】:月間350~400時間労働で働き続ける
無理な働き方を続けてきたことがたたり
顔がマヒする腫瘍ができる
過労のために、日に日に体が言うことを
効かなくなっていく中で、
過労死が意識され、職場の同僚に遺言を託す。
【30才】:就職詐欺に合う
就職した(はずだった)会社によって、
勝手に他の会社に就職させられていた。
私は、農業体験と自然食を提供する、
田舎の小さな宿泊施設(客室数4部屋)
の運営を任される約束で、
ある会社に就職しました。
私は、私が任される予定であった、
宿泊施設に住み込みで働き始めました。
その当時、私は、(自然の働きを活かした)
農業と自然食の普及に情熱を
燃やしていました。
一念発起して、それまで勤務していた
街の自然食レストランを辞め、
人生を賭けて、自費で10数万円の
引っ越し費用を負担しての転職でした。
しかし、1か月後。
私は、私が就職したはずの
会社とは全く別の会社に、私には無断で
入社させられていたことが発覚。
私が就職したはずだった会社との
当初の約束は、私には秘密裏に反故に
されており、
私が任されるはずだった宿泊施設は、
レストランを経営している会社が
レンタルして経営することに
なっていました。
私は、知らないうちに、その街で
レストランを経営する会社の社員に
させられていました。
私は、困惑して、大いに弱りました。
更に、私と共に宿泊施設に住み込みで
働き始めた、レストラン会社から派遣
された私の上司は、農業にも自然食にも
まるで理解がありませんでした。
上司と私とは折りが合わず、
私は1ヶ月も経たずに「出て行け!」と
言われてしまいました。
私は、仕事も住む場所も同時に失い、
行き場を失いました。
【23才~32才までの10年間】に
5回の転職と7回の引っ越し。
続かない、落ち着かないを経験する。
(現職の心理カウンセラー職が
一番長く続いています。
カウンセラーが自分にとって
天職だと思っています。)
これが、私のこれまでの人生の
主な出来事でした。
ここからは、もう少し詳しく
当時の様子などを書かせて頂きます。
子供の頃から学生時代のこと
「もう、人生辞めたいな。」
こう思う沢山の「絶望」と出会ってきました。
小学校の高学年にもなると、気が付くと、私は
友達と仲良くすることが苦手になっていました。
休み時間は一人、本を読んで過ごすようになり、
いつしか学校の登下校も一人でするように
なっていました。
周りは友人同士、仲良く登下校しているのを
私は横目で見ながら、
淋しい気持ちになっていました。
それは、その後の日々も続きました。
高校生になると、
私の髪は天パ(天然のパーマ)で、
おかしなクセっ毛だったので、毎朝、
自分の頭髪が手に負えませんでした。
同じクラスの女子から(私に聞こえる声で)
「今日も何あの髪型、キモイよね」と陰口を
叩かれるようになっていました。
それなので、私は天パでうねうねしてる髪を
バッサリ切って短髪にしました。
いわゆるスポーツ刈り(角刈り)です。
すると、今度は、
同じクラスの男子グループから、
「ブラピ気取りかよ!」
と廊下でのすれ違いざまに吐き捨てるように
言い放たれ、因縁を付けられました。
(※ブラピ=ブラッド・ピッド、若かりし頃
は短髪だったハリウッドスター)
私は、教室の片隅で、静かにひっそり真面目に
生きていただけなのに、
言われの無い誹謗中傷にひどく心外でした。
体育祭の日や、文化祭の日も、
出番も無ければ、居場所も無いので、
ただ苦痛なだけな日でした。
そんなこともあって、学校のクラス(教室)に
居るのが嫌になり、大幅に遅刻しての登校や、
登校しない日も出てきました。
大学生になってからも、私は、なぜか周囲に
馴染めない日々が続きました。
そして、迎えた大学の卒業式の日。私は、
その晴れの日を一緒に過ごす人たちが
誰も居ませんでした。
大学の4年間、結局、どこのグループにも
馴染むことが出来ずにいました。
みんなが、卒業式のパーティーの約束で
盛り上がっている中で、一人ぼっちな自分は
とても惨めな感じがしました。
社会人になってからの話
なぜか、人からの好意を受け取れず
パニックに・・・
大人になって、社会に出ると、仕事を通じて
人と関わる場面も増えました。
そんな中で自分自身について、
より気が付かされることも増えていきました。
なぜだか私には、自分が人に喜ばれる、
自分が人に歓迎さるなんてことは、
とてもじゃないけど信じられないことでした。
自己肯定感なんて無いし、自己価値が(なぜか)
とっても低かったので、人の好意や親切を
素直に受けとることができませんでした。。。
人に「借り」を作るような気がしていました。
私に親切にしてくれる人や
優しくしてくれる人が現れると、
私はとたんにソワソワしてしまって、
逃げ出したくなったり、なぜか喉が詰まって
しまってお礼も言えなくなるくらい、
だんまりになってしまっていました。
ほんとうにどうにもならなくて、
どう頑張ろうとしてみても、
一言も話せなくなってしまって、
パニックになることもありました。
親切にしてくれる人に
お礼の一言も言えないなんて、
自分でもわけが分からず、
自分で自分が情けなかったです。。。
こんな私だったので、
当然に人に自分の意見や、
やりたいことも言えなかったし、
なんとか自分の意見を言っても、なぜか?
高確率で無視されて、哀しくなっていました。
人と親しくなることができませんでした。
なんだかいつも孤独で、
淋しさを感じ続ける人生でした。
そして、いつも、袋小路の行き止まりで、
一人行き詰って立ち往生している、
そんな思いがしていました。
どの道を行って、どの角を曲がっても
どこも袋小路で、どこにも続いていない。
そんな感じの人生でした。
新卒入社の会社で心を病む
社会人デビューで人生を変えようとして
意気込むも、無残に惨敗
一気に10歳は老け込むほどボロボロに
それから転職を繰り返すようになりました
こんな私だったからか?
新卒で入社した会社では、
さっそく出鼻をくじかれたというか、、、
自分で選んで入った会社でしたが、
6ヶ月で心と体のバランスを
崩して続けられなくなり辞めました。
今振り返ってみると、新卒で入社した
会社は、新人に優しい会社でした。
営業の仕事でしたが、厳しいノルマ
などもなく、営業先を訪問しては、
担当者の方とお茶を飲んで
話すぐらいの仕事でした。
大変なことと言えば、会社の寮から
会社までの通勤が、満員電車を
乗り継いで1時間30分掛かるぐらいでした。
そうではありましたが、
当時(23才)の私にとっては、
「営業先を訪問して、担当者の方と
お茶を飲んで話す」くらいのことが
とっても苦痛で、しんどくて、
きつかったわけです。
飛び込み営業ではなくて、もうすでに、
私が入社した会社のお客さんになって
くださっている方々を回るだけ、
だったんですけれど、、、
行けば、十中八、九、向こうも
嫌な顔せずに会ってくださって、
仕事の話というよりは、
担当者の方のご家族のお話とか、
近況とかを伺っていました。
たったそれだけのこと
だったんですけれども、
私には苦しくて、ダメでした。。。
人と話すこと自体が、
なぜかほんとうにダメで、
私には出来ないことでした。
そんな私はどんどん
会社に行くのが辛くなり、
笑顔が無くなっていきました。
顔色が悪くなり、表情が引きつっていき、
同期入社の同僚や、
先輩、上司に心配されました。
食欲がなくなって、なんとかものを
飲み込むのがやっとになっていました。
人前で急に泣き出したり、のどが詰まって、
頭が真っ白?真っ暗?になって、
喋れなくなったりしていました。
しまいには、ドライマウス
(唾液が出なくなるストレス症状。
口の中がカラカラに干上がってしまい、
舌が口に貼り付いて動かせなくなり、
喋れなくなってしまう。)になっていました。
もう、ボロボロでした。
10才は老け込みました。
人と満足に話せない私だったのに、
そんな自分に鞭打って、
飛び込んだような営業職でした。
新社会人になった節目の挑戦が、
自分が変われるきっかけになる
気がしていました。
しかし、結果は惨敗でした。
せっかく採用してくださった会社に
迷惑を掛けてしまっただけでした。。。
この後も、なぜか?どこの職場でも
トラブルが連続する日々を過ごして、
どこでもボロボロになっていました。
どの職場も長くは続かず、23才~32才の
10年間で5回以上転職しました。
毎晩、布団に入って眠りに付く前には、
「いっそのこと明日、
目が覚めなければいいのに。」
そんな事を願う毎日でした。
就職詐欺、行き場を失う
自分の意見が言えない、何も聞けない
転職を続けている間にも、
自分の意見が言えないものだから、
就職の時にも、自分の希望など
言えませんでした。
どういう就業条件なのか?すら
尋ねることができていませんでした。
こんな感じでしたので、
初任給が振り込まれるまで
自分の給料がいくらなのか?も
知らないことが、転職を繰り返す中で
二度もあるような有り様でした。
そのうちの一度は、就職詐欺にあい、
知らない会社に
勝手に就職させられていた、
なんてことまでありました。
心理カウンセラーをしている
今となっては、就職詐欺などの
トラブルと出会った原因は、
私の心の中にあった、とよく分かります。
しかし、その当時は、
そんな知識も余裕も無く、
自費で840㎞ほどの距離を移動、
引っ越しをしての就職でしたので
(※<参考>東京―大阪間で約556㎞、
東京―広島間で約810㎞)、
すでにお金もなかったですし、騙された!
と分かった後も、行くあての無い状況で、
ががーんっときました。。。
あぁ、これで人生終わった
仏壇職人を目指す?
挫折や失敗を繰り返し、
無理を続けるストレスの大きな日々を
生き続けていた私は、
ついに26才の時、
顔面神経をマヒさせる
腫瘍が出来てしまいました。
ある日気が付くと、耳の後ろの首の部分に、
大きなコブ(=腫瘍)が出来ていました。
病院で診てもらったところ、先生のお話は、
「このまま腫瘍を放っておくと、生涯、
顔が半分麻痺して、ひしゃげてしまう。」
「今から腫瘍を取り除く手術をしても、
もうすでに腫瘍は大きく育っていて
神経に癒着してしまっているから
顔にマヒが残って、顔がゆがんで、
ひしゃげたままになってしまう
可能性はとても高い。」
ということでした。
私は、「そうかぁ。」と思いました。
・・・これで、人生終わった。
そう思いました。
もう人前に出れなくなるんだなぁ。
今の(飲食店での)仕事も
続けられなくなるなぁ、と思いました。
そして、なぜか、仏壇職人にでもなって
社会のすみっこの方に
引っ込んでいようと思い付いて、
仏壇職人になるための専門学校の
資料を取り寄せて、入院していた
病院のベットで一人眺めていました。
・・・・。
手術は全身麻酔で行われました。
執刀医の先生は
凄腕の名医だったのでしょう。
手術が終わり、麻酔から目覚めた私の顔は、
マヒしてはいませんでした。
私は助かりました。
そして、この経験はやがて出会う、
マクロビオティック※《1》を
真剣に学ぶきっかけとなりました。
※《1》マクロビオティックとは?
私達の心と体が自然と元気になる、
私達の心と体にフィットした食生活や、
生活習慣の伝統的な知恵や
工夫についてまとめられている、
セルフヒーリングの手法です
創案者は日本人の桜沢如一氏です
人生が変わるきっかけとの出会い
「耳が成長する食事方法?なにそれ。」
手術の後しばらくして、私は
ひょんな縁から、自然食レストランで
勤務することになりました。
その当時の私は、自然食?有機野菜??
マクロビオティック????の状態で、
ヘルシー、ナチュラル、ロハスな
ことについて、全く無関心で、
何一つ知識もありませんでした。
なので、自然食レストランでは
本当に沢山の新しいことを
学ぶことができました。
その職場で、たまたま出会ったのが
「マクロビオティック」でした。
ある時、職場の休憩室で、
同僚の方が置いていた
読みさしの本が目に留まりました。
それがマクロビオティックの本でした。
何の気なしに、
その本のページをめくると、
「玄米を食べると、耳が成長する、
大きくなる」と書いてありました。
耳が成長する?大きくなる?
それほんとなん!?(笑)
なんだか、そのことが面白くて、
それが、ほんとうなのか?どうか?
自分の身体で試してみたく
なっていました。
そんな興味本位で実践し始めたのが
私のマクロビオティックとの出会い
でした。
遊び半分の気持ちで手を出した
マクロビオティックでしたが、
いざ、実践してみると、
私にものスゴイ変化を
もたらしてくれました。
このマクロビオティック、
特に「玄米食」が私にもたらした
驚愕の変化の様子は、私のブログ記事で
詳しくお読み頂けます。
面白いと評判ですので、
ぜひ一度お読みください。
文末にブログへのリンクを
用意しています。※《2》
マクロビオティックを実践することで
得た私の変化は、私のそれまでの
常識を大きく超えた体験でした。
自分は、自分の意志や意識だけで
生きているのではなく、体や心が
いつも、一緒に生きてきてくれていた。
このことを強く実感させられました。
マクロビオティックを体験する前の私は、
自己啓発書や偉人の伝記(西郷さんとか)
などを沢山読んでは、本の内容や偉人の
生き方に勇気をもらって、
くじけそうになる自分を励ましながら
生きて来ました。
確かに、自己啓発や偉人の本も、私達が
人生を生き抜くことを助けてくれます。
しかし、私にとって、
もっとも身近な存在の、
自分の体や心こそが、何も言わずに、
いつも自分が生きることを何よりも
助けてくれていました。
いつでも心臓は鼓動を続け、
血液を送り出し続け、
肺も止むことなく呼吸を続け、
酸素を取り込み、
血液は酸素や二酸化炭素、栄養を
くまなく循環させてくれていました。
細胞の一つ一つがそれぞれに生きていて、
私の命を維持するために、
働き続けてくれている。
食べ物の消化と体への同化や、
疲労の回復、排泄機能、
沢山のストレスや感情たち、
それら全部を、私の心と体は
何も言わずに引き受けてくれていた。
マクロビオティックを実践した経験が、
このことを私に気付かせてくれました。
私はこれまでも、決して一人で
頑張ってきたわけではない。
心と体がいつも一緒だった。
こう気が付くことができました。
それは、なんだか安心なことでした。
マクロビオティックの
実践から得た経験と気付きは、
私の自分自身についての認識や、
心や体という存在への理解を
新しい次元に運んでくれました。
もう、一人、農家になろう
イノシシやシカ、サルとの激闘
いや、ほんと闘いの日々でした(泣笑)
マクロビオティックの実践の成果で、
私は、心身ともに見違えるぐらいに
元気になってはいました。
しかし、
- 人と交われない
- 自分に自信がない
このような心理状態が、
まだ変わらず私にはありました。
「どうしてそんなに自信がなさそうなの?」
度々、周囲の身近な人達から、
面と向かってこのように率直に
言われるような有り様でした。
当時の私は、自分が「自然食」で
元気になったこともあって、
より自分や人が元気を取り戻すことができる、
自然な食べ物や食べ方、
自然な暮らし方って何だろう?
このことへの探求心が強くなっていました。
私の中のこの探求心と、自信の無さ、
人への苦手意識とが相まって、
私は人では無くて
「自然」を相手に生きていこう。
誰とも関わらずに、
一人でも出来る農家になろう。
「自然食」の材料である
お米や野菜を育てよう。
こんな気分になっていました。
そしてついに、
「山に一人でこもって耕作放棄地を
開墾しながらでも生きて行こう。」
私はこんな考えになっていました。
今では、それはどこか
淋しい考え方だなぁと
素直に思えるわけですが、
その当時の自分にとっては、一人、
山にこもって農家になることは、
とても大切で素敵なことに
挑戦する思いでした。
私は、まずは自然食レストランの
仕事をしながら1年以上にわたって、
毎週末、農家さんの元に修行に通いました。
3ヶ月間の農業研修を受けに、
長野県まで出掛けて行きました。
その準備の後、私は一人、田舎に移住して、
荒れ果てた山間(やまあい)の
耕作放棄地を、鍬(くわ)1本を
手に開墾し始めました。
それと同時に、マクロビオティックを
体験できる宿泊施設を仕事にし始めました。
しかし、この私の試みは、けっして順調とは
言えない状況が続き、私はアルバイトを
しながら生活をしていました。
マクロビオティックの実践で、
それ以前に比べるなら、大幅に心身ともに
元気を取り戻してはいたものの、
自分に自信がない、手に職がない、
仕事もうまくいかない、強みもない、
こんな「ない、ない尽くし」の
私が変わらずにいました。
この時には、まだ、まだ、
こんな私でしたので、
同じように田舎に移住して来ていた、
私と同じぐらいの年齢の若い人たちが
集まる場に参加しみても、私は一人、
居場所の無さを感じていました。
ホームパーティや、イベントなどの
集まりに参加してみても、
なんだか居心地が悪くて、疲れる思いが
するだけのことも多かったです。。。
人との交流を楽しむことが
出来ませんでした。
そんな自分が痛いほど
分かっていましたので、
人の集まりに参加することも、
周囲の方たちと交流することも
ほとんどありませんでした。
一人、山の谷間の田畑と
小さな宿泊施設にひっそりと
こもって生きていました。
まだまだ、そういう私でした。
結局、私は、開墾した山間(やまあい)の
田畑で作物を育てながら、
山間(やまあい)の田畑にありがちの、
イノシシやシカ、サルなどの獣害との
激闘を4年ほど頑張りました。
しかし、私は獣たちとの闘いに敗退。
農家になることも、
やはり挫折しました・・・。
マクロビオティックが体験できる
宿泊施設の仕事も軌道に乗ることは
ありませんでした。
何をやっても、うまくいかない。続かない。
能力や才能(自分の強み)がない。
手に職もなければ、会社勤めも続かない。
何も出来ることがない。
親にも沢山心配をかけました。。。
相変わらず、そんな私でした。
心理カウンセリングと出会い、
本当の自分と出会う
人は変われる!本当に大きく変われる!
こんな私だったのですが、
心理カウンセリングとの出会いが、
私を大きく、ほんとうに大きく
変えてくれました。今では、
- 人と関われない
- 自分に自信がない
この私の子供の頃からの悩みは
まるでありません。
そして、手に職も付け、
心理カウンセラーの仕事をしています。
結婚もして家庭を持つこともできました。
「人生を辞めたい。」
もう、こう思うことも無くなりました。
ですから、私は、
ほんとうに大きく変われる
このことが、真実であることを
自分の身を持って沢山経験してきました。
私には『人と関われない』気質があり、
10才頃から始まり、20年以上の年月、
私の性格として定着していました。
心理カウンセリングは、この私の気質の裏に、
『自分はここに居てはダメな気がする』
という思いが、20年以上変わらずに、
私の心の奥(無意識の中)に有り続けたこと
を見いだしてくれました。
そしてさらに、その思いの奥には、
私が深層心理に抱えていた
沢山の「罪悪感」があったことも
見せてくれました。
この沢山の「罪悪感」のために、
私は気づかない内に、
自分自身のセルフイメージが
「罪人」のようになっていました。
「罪人」の自分は、
- 誰とも合わせる顔がない
(=自分に自信がない) - 自分は生きていてはいけない
(=ここに居てはいけない)
このような思いの中で生きてきたことが
分かりました。
このために、いつも心の半分以上は、
絶望し、苦しくなっているような状態で
生きてきたのでした。
自分でも気づかない内に、
自分で自分を「罪がある人」として、
責め続けていました。
その自責のために、私の心は苦しくなって、
余裕を失っていました。
余裕を失っていた私の心は、人生の中で出会う、
小さな悲しさやささいな苦しみが、
とても強く大きく響くようになっていました。
とても打たれ弱い、動揺しやすい
心の状態になっていました。
その心の状態のために、
「どうしていつも自分にはこんな苦しいこと
ばかりが起こるのだろう。。。」
この思いとともに人生を嘆いていました。
「生きることは、つらいこと。」
根っからこう信じていました。
心理カウンセリングが提供してくれた経験は、
私のこのような心の状態の、奥に隠されて
いたものを明らかにしてくれました。
友人たちの輪の中に入れない私、
心を病んでドライマウスになってしまった私、
過労死を意識する働き方をしていた私、
顔が麻痺してひしゃげてしまう
腫瘍が出来てしまった私、
就職詐欺にあった私、
仕事も続かず、手に職もない私。
心理カウンセリングを利用したことで、
このような私だった「原因」が、
全てあらかじめ自分の中にあったことが
明確に分かりました。
全ては自分から始まっていました。
そうであるからこそ、
自分に原因があるからこそ、
自分の心を扱うことで、
苦しみの原因が消え去り、
本当に人生が大きく好転します。
自分が変わることで、今感じている
沢山の限界を超えて行くことができます。
このことを私自身が身を持って
経験してきました。
私は、心理カウンセリングを利用することで、
沢山の自分の課題を克服することが
出来てきました。
ですから、今では、もう私は、
人と交われないことはないですし、
自分に自信がなくて、口惜しい思いや、
苦しい思いをするということもありません。
初めて会う人達のグループの中でも、
自然体で楽な気分で居ることができます。
ドライマウスになることもなければ、
自分を追い込むほど働くこともありません。
私の20年以上続いてきた性格や気質は、
心理カウンセリングを利用することで、
特別な努力をすることなく、
まるで別な性格や気質に
自然と変わりました。
肩の力が抜けた、気楽で楽しい、
本当の自分に帰ってくることができました。
心理カウンセリングは私に、
普段は自分一人では見ることが出来ない、
自分の心の裏側と向き合う
チャンスをくれました。
そして、それだけなく、
自分の心の裏側にある、
本当の自分を失う「原因」から、
一歩、一歩抜け出していく歩みを、
強力にサポートしてくれました。
心理カウンセリングを利用することは、
私が、本当の自分に帰る道を歩む、
着実な、一歩、一歩でした。
10才頃から20年以上続いていた
私の性格や気質は、実は、
本当の自分の性格や気質とは
全く別の性格や気質でした。
私は、心理カウンセリングのサポートを得て、
本当の自分の性格や気質に
帰って来ることができました。
私たちが本当の自分の
性格や気質で居られる時、
私たちは、ほんとうに伸び伸びと、
活き活きと、おおらかな自由を
感じながら生きることができます。
私は、心理カウンセリングを利用しながら、
本当の自分に帰る歩みを進めて行く中で、
心理カウンセリングが出来ることや、
その効果について、熟知し始めました。
そして、自分の実体験により、
より深く良さを知った
心理カウンセリングに、
より深く興味を持つようになりました。
気が付けば、私は心理カウンセリングの
世界を日夜、探求するようになっていました。
プロの心理カウンセラーを養成する
トレーニングコースにも参加して、
知識を学び、実践の経験を積みました。
そこでは、心理カウセリングが
提供できる可能性の大きさについて、
より多くのことを発見することができました。
心理カウンセリングの可能性の大きさや、
魅力について、私が十分に理解できた頃、
私も心理カウンセラーになっていました。
自分がカウンセリングを利用するだけでなく、
お客様に心理カウンセリングを
提供することを通して、
お客様が「心の不調」や、様々な悩み、
生きづらさを解消するためのサポートを
提供する側になりました。
これまでに、8000時間を超える
心理カウンセリングを、
お客様に提供させて頂いてきました。
その中で、私のお客様の皆様も、
ほんとうに大きく変わってくださいました。
3.心理カウンセラー
長谷川貴士の想い
人は変わることができます
私には、上記のように「心の不調」のために
仕事を辞めざるを得なかった経験や、
顔が麻痺する腫瘍のために人生を
失いかけた経験があります。
私の経験と同じように、「心の不調」で
人生が止まってしまっている方々や、
同じような失敗、同じような苦しみを
繰り返し経験し続けている方々、
そのようなつらく苦しい状況にある
沢山の方々と向き合わせて頂き、
心理カウンセリングを通して
サポートさせて頂いてきました。
私は、この経験から、自分一人では
どうすることもできない心の不調や
症状によって、どんなに頑張っても、
同じ失敗、同じような惨めな
結果の繰り返ししか手に入らない。
自分が本当にしたいことに
チャレンジできない。
本当にしたいことを
考えることすらできない。
自分が本当にしたいことが
何なのか?もう分かることすら
できなくなってしまっている。
このような状態が、人生で何より
つらい状態だと思うようになりました。
私自身、心理カウンセリングを利用する
一人の顧客として、これまでに50回以上の
カウンセリングを利用してきた経験があります。
そして、一人の心理カウンセラーとして、
8000時間以上の心理カウンセリングを
お客様に提供し続けてきました。
私は、この経験から、お客様のお一人、
お一人にその人だけの症状、
その人だけの苦しみ、その人だけの悩み、
その人だけの原因、その人だけの理由、
その人だけの経験、その人だけの人生の歩み、
その人だけの望み、があることを知っています。
お客様が変わるために、苦しみを手放すために、
そして、元気や笑顔を取り戻すためには、
お客様お一人、お一人に合わせた、
その人だけのカウンセリングが必要になります。
ですから、私が、これまでにお客様に
提供させて頂いてきた8000時間以上の
カウンセリングでは、一度として、以前と同じ
カウンセリングになったことがありません。
1回、1回のカウンセリングが、
その日、その時のお客様が
新しく一歩を踏み出すために必要な、
全く新しいカウンセリングのプロセスでした。
その結果、お客様がそれまでには
手に入らなかった、
新しい結果を手に入れることを、
サポートさせて頂くことが出来てきました。
私自身が顧客として、カウンセリングを
利用してきた経験と、私が心理カウンセラー
として経験を積み重ねてきたからこそ
言えることは、
同じような失敗や、同じような惨めな
結果を繰り返す人生は、変えることができる。
「心の不調」や生きづらさは、
解消したり、緩和させることができる。
そしてもう一度、自分の人生に
希望があることを考えたり、
楽しい!と思って、手放しではしゃいだり!
面白い!と誰かと笑い合える経験ができる。
このことです。「心の不調」や悩み、
生きづらさが解消することで、
自分の人生に目一杯!全力で!
チャレンジすることが出来るようになります。
このことが心理カウンセリングを
利用し続けてきた私自身の経験であり、
私が心理カウンセラーとして、
カウンセリングを提供させて頂いてきた、
私のお客様の経験です。
一人でも多くの方が「心の不調」や生きづらさを
解消されて、健康に不安がなく、
日々、自分の望む人生に向かって
元気にチャレンジすることができる。
そんな輝く日々の中に入って行って欲しい。
今は「心の不調」に苦しんでいたとしても、
自分らしく楽しみ、
自分らしい幸せを手に入れる
ここにたどり着いて欲しい。こう願いながら、
念じながら、日々、心理カウンセラーの
仕事を続けています。
あなたにも、元気になるチャンスがあります。
これまでになかった楽しさがある
人生を生きるチャンスがあります。
あなたが心身の元気や健康を回復させること。
自分らしさを取り戻すこと。
そして、その先にある笑顔や幸せ。
それを掴むための歩みを
一歩、一歩進めて行くことの
お力にならせていただければ、
うれしく思います。
おわりに
私の心理カウンセリングの手法や
お客様との向き合い方は、
けっして自分一人だけで
習得できたものではありませんでした。
多くの先生や先輩の皆様、
お客様の皆様とのありがたい
ご縁が繋がったことで、今の私があります。
ご縁を頂いた全ての皆様に感謝しています。
私がこれまでご縁を頂いて来た皆様から
頂いてきた良いものを、これからは、
私が新しくご縁を頂いた
お客様へお返ししていこうと思っています。
誰もが自分の望む人生に
元気に踏み出して行って欲しい。
これが私の思いです。
私とご縁を頂きましたお客様、
お一人、お一人のその姿が見たい。
私は、このことをいつも思い、願っています。
心理カウンセラー
長谷川 貴士
※《2》マクロビオティック、
特に「玄米食」がもたらした驚愕の、
私の変化の様子は、下記ブログの記事より
「驚き!玄米デトックス@ぼくの体験記」
※《3》お客様の変化の実例
&お客様の声はこちらから