5:母親憎けりゃ日本も憎い?
【カウンセラー長谷川】:
日本に居たくなくて、
海外で暮らしたい。
こう思う心理的な理由の一つに、
「家族の関係性」が私達の
心理に与える影響があるんだよ。
【柴犬うみ】:
そうなんだ。人間って
大変なんだね。
あたしはうちが一番だなぁ。
心理カウンセラー
長谷川 貴士です。
- 「家族の記憶」の中にある
「罪悪感」が日本嫌いにさせる - 家族との心理的な
わだかまりが日本嫌いにさせる
1:「家族の記憶」の中にある
「罪悪感」が日本嫌いにさせる
私達は、自分の遺伝子に刻まれた
「家族の記憶」の中にある
「罪悪感(の記憶)」の影響から、
日本を出て、海外に
住みたくなることがあります。
そのような人は、実家や、
実家がある地域を離れることで、
ほっとできたり、
気持ちが楽になったりします。
「家族の記憶」の中にある
「罪悪感」の影響力の
大きさによっては、
ほっとした気持ちになるために、
実家や、実家がある地域を
離れる距離が
海外にまで及ぶことが
ある方もいらっしゃいます。
そのような方は、やはり、
日本を離れて、海外で
暮らすことを望まれます。
「家族の記憶」の中にある
「罪悪感」とはどんなもの?
家族の中に境遇の不平等があると、
自分は恵まれていると
感じている人は、
あの人は恵まれていないと
感じられている人に対して
「罪悪感」を抱き易いです。
< 例です >
次男であった父親が
子供の頃に、
長男だった兄を
亡くしているケースです。
このケースでは、
父親の心理に2種類の
「罪悪感」が生じ易いです。
<1種類目の罪悪感>
父親は、子供の頃に
亡くなってしまった
兄の境遇(運命)と、
兄が亡くなった後も
生きている自分の境遇との間に
「不公平さ」を感じます。
(生きている)自分は、様々なものを
得られて、恵まれている。
その自分に較べて、(亡くなった)
兄は何も得られなかった。
深層心理でこう感じます。
ここに1つ目の「罪悪感」が生じます。
<2種類目の罪悪感>
長男だった兄が亡くなったことで、
長男の地位や、兄が得るはずだった
相続などの権利を、
次男であった父親が得ます。
そのことで、父親は、
兄の死によって、
自分が利益を得たように感じます。
ここに2つ目の
「罪悪感」が生じます。
◆ ◆ ◆
この2つの「罪悪感」が
父親の中で、
十分に癒されていないとき、
「罪悪感」は
「家族の記憶」となり、
父親の子供や孫に
引き継がれていきます。
すると、父親の子供や孫は、
理由の分からない不安や、
理由なく、自分が許せない
気持ちを抱くようになる
かも知れません。
◆ ◆ ◆
このように、私達の心は、
家族と密接につながっています。
心理の観点から見ると、
家族とは、一本の木のように、
同じ幹、同じ根(ルーツ)を共有し、
つながっている、1つの存在です。
この例のように、私達は、
「家族の記憶」としてある、
「罪悪感」から生じる、
不安や、自責の念などを感じることで、
とても苦しくなってしまいます。
その苦しさから離れるために、
私達は、日本に居たくなくなり、
海外で暮らしたくなることがあります。
2:家族との心理的な
わだかまりが日本嫌いにさせる
この章では、「家族の記憶」の
中にある「罪悪感」以外に、
私達が、日本に居たくなくて、
海外で暮らしたくなる
家族の関係性の中にある、
心理的な理由の一例を
解説させて頂きます。
私達の心の中に、家族との間に
わだかまりがあり、
自分の家族を否定していたり、
自分の家族を誇りに
思えていないとき、
私達は、自分が所属する
日本の社会や、日本人について、
不満が募ることがあります。
そのために日本に居ることが
嫌になり、
海外で暮らしたくなる
ことがあります。
これは、自分の家族に
対してあった不満が
日本社会や周囲の人達に
「投影」された結果です。
「投影」とは、
重ね合わせて見てしまう
ことです。
映画館の仕組みをイメージして
もらえると分かり易いと思います。
映画館では
白いスクリーンの上に、
映写機から投影された映像が
重ねられたものを観ますよね。
この「投影」についての、
映画館でのイメージを、
日本に居ることが嫌になり、
海外で暮らしたくなることの理由である、
上記の例に当てはめてみます。
映画館の白いスクリーンが
日本の社会や、日本人のことです。
そこに、重ね合わせる映像は、
私達が家族に持っている不満です。
これが、「投影」のイメージです。
本当にはただそこにあるだけで、
自分にとっては、
良くも悪くもなかった
日本社会や、日本人に、
自分の中にある
家族への不満を重ね合わせて
観てしまうことで、
日本社会や、日本人の
悪い所、不満に思うところ
ばかりが目に付くように
なってしまい、
日本社会や、日本人を
嫌いになってしまいます。
< 例です >
親に対して不満を抱えている人は、
会社や上司に対しても不満を抱えやすく、
社会に対しても不満を抱えやすいです。
これは、自分の周囲の親的な
存在(会社、上司社会)に対して、
無意識の内に、自分の親への
思いを、重ね合わせている
(=「投影」している)結果です。
このように、私たちは無意識の内に
私たちが抱える家族への思いを、
私たちの身近な人達や
周囲の存在に「投影」してしまい
ながら暮らしています。
このために、
「家族」へのわだかまりを
心に抱えている人は、
どこに行っても、どのグループに
所属しても、周囲の人達に、
自分が抱える、家族への
心理的なわだかまりを
「投影」してしまうので、
周囲の人達との人間関係に
トラブルやつまずきを
抱えやすくなります。
その結果、
「日本は私にとって
生きづらい。
海外で暮らしたい。」
こう感じられることがあります。
家族の中でも、特に、
母 親 に対しての、
不満やわだかまりが
心の中に強くある時には、
この傾向が強く
なることがあります。
これは、私達の「体」の
成り立ちと関係があると
私は考えています。
私達の「体」は、
母親の一個の特別な細胞
(卵細胞)が増殖し、
数を増やした結果として、
今、存在しています。
つまり、私達の体は
母親の細胞のコピーです。
ですから、私達と母親は、
存在として、
とても近い存在です。
文字通り、他人では
ないわけですね。
このときに、母親への
心理的なわだかまりや不満は、
同時に、自分自身への
心理的わだかまりや不満として、
自分の心の状態に
強く影響を及ぼします。
その影響は、自己不信
(自分に自信がない)や、
自分への違和感として表れてきます。
この心理的な状態から
逃れようとする手段として、
日本を離れて、
海外で暮らすことで、
(心理的な観点からは)
自分と一体であるとも言える、
母親から離れようとします。
そうすることで、
自分の心の中にある母親の
存在感が小さくなり、
母親に感じていた不満も
小さくなり、同時に、
(母親のコピーである、)
自分に感じていた不満、
自己不信、自己否定も小さくなり、
気持ちが楽になります。
私達が、自分の国を
「父国」とは言わずに、
「母国」と呼ぶことも、
たまたまではなく、
私達の心に根差した
呼び方であると思います。
この呼び方に表れているように、
日本人が、「母国」日本を離れることは、
深層心理の部分では、母親から
離れることと重なって感じられていると
思います。
◆ ◆ ◆
日本人が、日本に居たくなくて、
海外で暮らしたくなる理由を
ここまで、いくつか
挙げさせて頂きました。
どうだったでしょうか?
今回紹介させて頂いた
理由は、ほんの一例です。
人の心理は実際には、お一人、
お一人全く異なる世界です。
ですから、日本に居たくなくて、
海外で暮らしたくなる人の
心理的な理由も、お一人、お一人に
異なる理由があります。
ここまで解説させて
頂いてきたように、
日本での生きづらさを
感じていらっしゃる方は、
その理由が心理にある
こともあります。
その理由を見つけて解消したい。
生きづらい人生を変えたい。
こう思われる方はぜひ、お越し下さい。
お力になります!
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4:国民的罪悪感で日本が嫌いになる?
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