4:「怒り」で人間関係が円満に?
【カウンセラー長谷川】:
「怒り」の感情を
使えるようになると、
人間関係は本当に
円満になるんだよ
【柴犬うみ】:
えっ?「怒り」で
人間関係が円満になるの?
それってほんと?
こんにちは!(^^)
心理カウンセラー
長谷川 貴士 です。
今回は、私達が、自分の気持ちを
相手にしっかりと伝えることができて、
相手とのつながり(絆)を
強めることができる、
純粋な「怒り」の感情について、
解説させて頂きます。
- 純粋な「怒り」が
使えない時の症状 - 純粋な「怒り」が使えると
得られる4つの変化 - 「怒り」の感情のまとめ
1:純粋な「怒り」が
使えない時の症状
「自分に自信がなくて、
自分の意見が言えない」
「いつも、気付けば
自分が我慢して
相手に譲ってしまっている」
こんな思いはないでしょうか?
「自分の好きなものや、
楽しいことが分からない」
「生きている意味が分からない」
こんな感覚や症状はないでしょうか?
上記のようになってしまう
の原因の一つとして、
(純粋な)「怒り」の感情が
使えなくなっている
これがあります。
上記のような状態は、私たちが
(純粋な)「怒り」の感情を使えるように
なれば解消することができます。
ちょっとここで前回お伝えした、
「悲しみ」が「混じった怒り」について、
思い出してみてください。
純粋な「怒り」の感情を
うまく使うことができなくなって
しまっている方は、
日常で感じる「怒り」の感情が、
前回の記事で解説させて頂いた、
頭に血が昇り、冷静で居られなくなる
「悲しみが混じった怒り」ばかりに
なってしまいます。
私たちが純粋な「怒り」の感情が
使えなくなっていると、
「悲しみが混じった怒り」ばかり
が出て来てしまい、
「怒り」を向けた相手に、
自分の思いや意見が全く伝わらず、
ストレスや周囲の人達とのトラブルが
多くなり、困ってしまいます。
その理由は以下の通りです。
< 理由 >
純粋な「怒り」の感情が使えないと、
私たちには以下のことが起きます。
<1>
自分の思いや意見を話して、
(表明しても)相手に伝わらない。
<2>
自分の欲しいものや望みに
思い切って手を伸ばすことができない。
自分にとってプラスになることに
挑戦することができない。
<3>
自分がとても弱い存在に感じられ、
自分の身が自分で守れない感じがして
いつも不安が強い。
弱い自分には保護が必要な感じがして
他者への依存心が増える。
◆ ◆ ◆
純粋な「怒り」の感情が使えないと、
この<1>~<3>の症状が起きます。
純粋な「怒り」の感情が使えない状態では、
上記の<1>~<3>の症状が出るので、
ざっくりお伝えすると、
以下のような心理状態が
深層心理に根付いてしまいます。
<純粋な「怒り」の感情が
使えない状態の時の心理状態>
相手が自分の状況を察して、
相手から手を差しのべてくれない限り、
自分が望んでいるものは手に入らない。
◆ ◆ ◆
私たちは、自分の状態について、
深層心理で上記のように信じてしまいます。
上記のよう深層心理の状態に
なってしまっていると、私たちは
相手が自分の「期待」通りに振舞ってくれる
ことを待ち望んでしまいます。
相手に対して、「過剰」な「期待」が
生まれてしまいます。
私たちが、純粋な「怒り」の
感情が使えなくなっていて、
自分には何も出来ないと思える、
弱い気分になってしまって、
相手に対して、「過剰」な「期待」
を抱えるようになっている時に、
「期待」を寄せていた相手が、
自分の「期待」通りには振舞って
くれないことが起こると、
私たちは、 もう、自分には
できることが何も無いと感じられて、
絶望的な悲しみに襲われます。
「あぁ。もう、ダメだ。」
って思います。
私たちが、純粋な「怒り」の
感情が使えなくなっていると、
挫折した気分になるのがとても早いです。
自暴自棄になったり、
やりかけた物事を投げ出したリ、
するのもとても早いです。
私たちが、純粋な「怒り」の感情が
使えなくなっているときの
上記の症状の原型は、
私たちが、まだ赤ちゃんだった頃に
さかのぼることがあります。
上記の症状の原型は、
赤ちゃんだった私たちの「期待」通りには、
お母さんが私たちをケアしたり、
笑顔を見せてくれたりできなかった時に
私たちが「悲しみ」を感じていた時間
であることが多いです。
お母さんが赤ちゃんだった頃の私たちの
「期待」通りでなかった時、
赤ちゃんだった私たちは、
泣くことぐらいはできたと思います。
しかし、赤ちゃんだった私たちが泣いて
「悲しみ」や「抗議」を主張したとしても、
お母さんは忙しく、
心の余裕を失っていて、
泣いて主張している赤ちゃん
だった私たちの要望だった、
抱っこして欲しい、
遊んで欲しい、
笑顔を見せて欲しい、
などを十分に叶えてあげることが
出来なかったかも知れません。
赤ちゃんだった私たちは、「悲しみ」の中、
泣きながらあきらめることを学んだかも知れません。
どうせ望みが叶わないのなら主張しない方が、
自分も苦しさが少なく、お母さんも困らせないし、
怒らせることもないことを
「悲しみ」ながら学んだかも知れません。
望みがあっても、ひと泣きして叶わなければ、
早々にあきらめることを「悲しみ」ながら、
学んだかもしれません。
上記のような経験から
私たちが学習したことが原型となって、
私たちが相手に自分の主張を伝える時に
使われるエネルギーである、
純粋な「怒り」の感情を使うことを、
あきらめる、自分には無いことにすることが
学習され、習慣化されます。
私たちが学習して、習慣化した、
純粋な「怒り」の感情を封印する「心のクセ」は
私たちが大人になっても無意識の内に
私たちの考え方や行動を制限し続ます。
私たちが、純粋な「怒り」の
感情が使えなくなっている時の主な症状は
以下の<1>~<3>でした。
<1>
自分の思いや意見が、
相手に伝わらない。
<2>
自分の欲しいものや望みに
思い切って手を伸すことができない。
自分にとってプラスになることに
挑戦することができない。
<3>
自分がとても弱い存在に感じられ、
自分の身が自分で守れない感じがする。
弱い自分には保護が必要な感じがして
他者への依存心が増える。
上記の<1>~<3の>の
症状や感覚は、
どれも、本当は大人である私達の心が、
無力で弱かった赤ちゃんの頃の心(感覚)に
戻ってしまっているために起きます。
私たちは、心に癒されていない
過去の感情を抱えているとき、
その過去の感情を感じた状況と
似たような状況に出会うと、
癒されていない過去の感情が
心の深いところから瞬時に昇ってきて、
その古い感情に呑み込まれてしまいます。
私たちの心にはこの仕組みがあります。
私たちに、私たちが赤ちゃんの頃に、
母親に「期待」通り振舞ってもらえなかった時の
「悲しみ」が癒されずに心の中に残っていると、
私たちが「期待」した相手に「期待」を裏切られた時や、
家族やパートナー、親しい友人などに
自分の望みや思いを主張しても、
相手には別の考えや思いがあって
それに同意してもらえなかった時などに、
その過去の「悲しみ」が
昇ってきて吞み込まれてしまいます。
その時、私たちは、自分が赤ちゃんのように
弱い存在であるかのように感じられて、
自分には何も出来ない気がしてしまい、
ただただ「悲しく」「絶望」した気分
になってしまいます。
私たちが「悲しく」「絶望」している
気分の中で「怒る」時、
つまり、
「悲しみが混じった怒り」を
「期待」を裏切られた相手に
伝えようとすると時、
頭に血が昇って、熱くなり、
顔を真っ赤にするような
怒り方になってしまいます。
まるで、赤ちゃんが泣き叫ぶみたいに、
取りつく島の無いような、
一方的な怒り方をします。
それが、「悲しみが混じった」怒り方です。
「悲しみが混じった怒り」は
心の赤ちゃん返りです。
それと同時に
「悲しみが混じった怒り」は
純粋な「怒り」の感情を使うことが
できなくなってしまっている時の
症状でもあります。
純粋な「怒り」の感情が使えるようになると、
「悲しみが混じった怒り」を卒業することが
できます。
純粋な「怒り」の感情とは
成長した大人の感情です。
2:純粋な怒りが使えると
得られる4つの変化
純粋な「怒り」を使えるようになると、
上の<1>~<3>の逆になります。
<1>
自分の思いをしっかりと
相手に伝えることが出来る。
<2>
自分の欲しいもの、望む状態に
元気にチャレンジすることが出来る。
<3>
自律心が確立する。
自分の身は自分で守る気概が
心に根付く。
このように、純粋な「怒り」の感情が
使えることは、
心理的に、 子供から
大人に成長することが出来る。
他人への依存心の多い存在から、
自助独立の自立した存在に変わることが出来る。
このことも意味します。
そして、これは、
他者との人間関係が円満になる大切な要素です。
純粋な「怒り」の感情が使えるようになると、
以下の変化が得られます。
<1>
自分に自信が付く
<2>
「怒り」のエネルギーに満たされれば、
満たされるほど、冷静で、落ち着いた、
集中力が高い気分になる。
物事への対処能力がとても高まる。
<3>
好奇心や、チャレンジ精神が湧いてくる。
自分の好きなものが分かる。
自分の欲しいものに素直に
手を伸ばすことが出来る。
<4>
自分の身を自分で守れる感覚が育ち、
不安や恐怖心が減る。
心の余裕が増える。
このような変化が得られます。
(純粋な)「怒り」の感情が
使える事で、私たちに手に入る変化を
一言で言い表すならば、
「怒り」の感情は、
人生の満足感を高めてくれる。
こう言えます。
< 私の事例 >
実は、私も(純粋な)「怒り」の感情が
十分に使えるようになったのは、
カウンセリングのサポートを
利用したおかげでした。
私はカウンセリング中でさえも、
言いたいことがなかなか
言えないタイプでした。
言えないというか、
言葉が出て来なくなってしまい、
困っていました。
頭が真っ白になって、のどが変に詰まって
質問に答えられなくなってしまう感じです。
そんな私がカウンセリングを
利用したある日の時のことです。
その時のカウンセラーの先生は、
来日されていた、アメリカ人の
おっきな先生でした。
小柄な日本人代表のような私
(学校で身長順で並ぶと必ず
いつも先頭でした。)と較べると、
アメリカ人のおっきな先生の体格は
私とは2回りから、3回り違い、
体重差も40~50kgぐらいは
あったかと思います。
私は、そのアメリカ人の
おっきなカウンセラーの先生との
カウンセリングの中で、
「怒り」の感情を取り戻す
ためのワークを行いました。
そのワークの中で、私は、
アメリカ人のおっきな先生に
身体ごとぶつかっていって、
大人になってから初めて、他人と
本気の取っ組み合いをしました(笑)
他人にひどい悪態をつきました(笑)
(※ワークとして取り組みです。)
このワークの経験で、私は自分の
殻を一つ破ることができました。
このアメリカ人のおっきな先生とのワークの後で、
私は、純粋な「怒り」の感情を取り戻し、
使えるようになりました。
そのおかげ様で、自分が本当にはしたいと
思っていることが分かり、出来るようになりました。
あれこれとできない理由を考えて結局しないとか、
時間やお金がもったいないとか思わずに、
自分の満足のためにやってみる。
これができるようになりました。
初めは怖々(こわごわ)でしたけど(笑)
自分を楽しませることに手を伸ばして、楽しむ。
この課題に挑戦できるようになって、
1っ歩、1っ歩進んでみたところ
あぁ。自分はこういうのが好きだったんだと、
自分に対して色々と発見があって、
うれしく思っています。
<自分に対しての発見>
・おいしいラーメンを食べるのが
自分が思っていたよりかなり好き
(子供の頃、ラーメン好きな父親に
よく連れられて食べに行っていたから?)
・小さな冒険ができる岩場のある山に
出掛けて行って歩くのが好き
(4、5才の頃、近所の子たちと
山の岩場を秘密基地にしていたから?)
・自転車に乗るのが好き
(車で移動していたのを、ちょっと
移動時間がかさんでも自転車に変更)
など。
楽しむ自分を発見出来て、
人生の満足感が増えました。
(私の事例ここまで)
◆ ◆ ◆
純粋な「怒り」の感情を
使えることは良いことずくめなので、
ぜひぜひ使えるように
なることをおすすめします。
同時に、悲しみが
「混じった怒り」を手放すことも
同じぐらい生きやすくなることなので、
おすすめです。
どちらも、私の提供している
心理カウンセリングで
サポートすることができます。
気になる方は、
ぜひ 1 度カウンセリングをご利用下さい。
3:「怒り」の感情のまとめ
■ 頭に血が上り、冷静さを失う
「怒り」は悲しみが「混じった怒り」
■ 純粋な「怒り」はより冷静に、
より落ち着いた気分になる
自分で自分の身を守ることや、
元気にチャレンジすること、
自分で自分を楽しませること
などができるようになり、
自分に自信が付き、
心に余裕ができる
他者への依存心が減り、
「大きすぎる期待」が減る
■ 上記のように変われることで、
人間関係が円満になる
◆ ◆ ◆
こんな感じです。
では、次回は、
「努力しても変われない理由を
手放す方法:前編」として、
私たちが「怒り続けている」と
私たちが努力しても変われなくなる
理由について解説させて頂きます。
次回もお楽しみに!(^^)
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3:怒れば怒るほど分かってもらえない理由
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私達の癒しと元気の源【感情】(全8回)