6:努力しても変われない理由を手放す方法:後編
【カウンセラー長谷川】:
私たちが努力しても
変われないのは、
実は「悲しむ」ことが
足りていなんだよ。
【柴犬うみ】:
自分が変わるための努力が
報われないことと
「悲しむ」ことが
関係しているのってなんで?
心理カウンセラー
長谷川貴士です。
<前回の記事>で
解説させて頂いたように、
私たちが努力しても変われない
心の理由は、
怒り続けているからであり、
私たちが怒り続けているのは、
心が癒されていないからでした。
それでは、私達が変わるために
必要な、心が癒されるとは
どのようなことなのか?
心が癒されるために
必要なことは何か?
その答えは、
実は「悲しむ」ことです。
今回は、私たちが、自分が
望む自分に変わるために必要な、
心の癒しを作る「悲しみ」の感情
について解説させて頂きます。
- 「怒り」と「悲しみ」が
混じると「執着」になる - 悲しみは癒しのパワー?
- 悲しんでいるのに、
癒されないのはなぜ?
1:「怒り」と「悲しみ」が
混じると「執着」になる
私たちがいつまでも
怒り続けてしまうのは、
私たちの「怒り」と「悲しみ」が
混じっている時(だけ)です。
私たちの心の中で、
「悲しみが混じった怒り」が
癒されていない時、
私たちは、自分の「期待」通りには
ならなかった悲しい過去を
いつまでも忘れることが出来なくなり、
不満を抱いて怒り続けてしまいます。
この状態が「執着」です。
「悲しみが混じった怒り」は
「執着」を作ります。
私たちが「執着」している時には、
「過去」や「他者」を変えたいと
望んでいます。
私たちは、過去や他者に
「執着」し続けることで、
自分が前に進むことを
選ぶことができません。
私たちが根本的に
自分を変えるためには、
まずは、私たちが心の中に
抱えてしまっている
「悲しみが混じった怒り」の中にある
「悲しみ」を癒すことが必要です。
「悲しみが混じった怒り」の
中にある「悲しみ」が癒されると、
「悲しみが混じった怒り」が
心の中に留まり続けている状態が
解消します。
この時、「悲しみが混じった怒り」が
生み出していた「執着」も
手放すことが出来るようになります。
私たちが、「過去」や「他者」への
「執着」を手放すことができた時、
私たちは、初めて、
自分が望む自分に「変わる」ための
一歩を踏み出すことができます。
次章では、私たちが望む
自分に変わるための鍵を握る、
「悲しみ」の感情について
解説させて頂きます。
2:悲しみは癒しのパワー
「悲しみ」の感情は好きですか?
「悲しみ」は嫌い。
少ない方がいい。
「悲しく」なるよりも、
明るくて、楽しくなれる
ことが多い方がいい。
こう思われる方も
多いかも知れません。
しかし、かつての私は、
「悲しみ」の感情が好きでした。
悲しくなるような物語の本を
好んで読んでいました。
悲しくなるような、
映画ばかりを観ていました。
悲しくなるような、
音楽ばかりを聞いていました。
「怒り」が溜まると、ある日
爆発することがあるのと同様に、
「悲しみ」も溜まると
出口を求めます。
その結果、「悲しく」
なれるものが好きになります。
「悲しく」なれるものを選び、
悲しい気分を好んで
味わうようになります。
そうすることで、自分の中に
溜まっている「悲しみ」に
出口を作ります。
◆ ◆ ◆
例えば、私は以前、本当に、
悲しくなるような
歌や曲ばかりを聞いていました。
ユーミンとか
中島みゆきさんとかの
悲しめな、曲調暗めの曲が
とにかく好みでした。
クラシック音楽の
レクイエム(死者のための鎮魂曲)とか、
オペラの物哀しいアリア(独唱曲)
とかもです。
これは、私の中に
かなり沢山の「悲しみ」が
溜まっていたせいでした。
私は、癒されていない
心の部分を沢山抱えていました。
「悲しみ」を溜めたままに
なっていた私は、
自分を、人生を「変えたい」と
望み始めてから、20年以上、
十分に「変わる」ことが
出来ずにいました。
そんな私は、
心理カウンセリングの
サポートと出会いました。
それ以来、私は、
心理カウンセリングのサポートを
利用して、自分一人では出来なった、
沢山の「悲しみ」を癒すことに取り組み、
心の癒しを広げてきました。
今では、「悲しみ」より
「楽しさ」が良いと思う気持ちが
私は良く分かります。
「悲しい」ものばかりを
集めるのはではなく、
愉快な漫才とか、
笑いのある明るい映画などを
よく見るようになりました。
心理カウンセリングの
サポートを利用して、
心の癒しを広げる前の私は、
「楽しさ」が分からず、
漫才やコメディの良さは
1ミリも分かりませんでした。
私は、明るい賑やかな雰囲気に
苦手を感じる心の状態でしたので、
テレビを見るのが苦痛でした。
20才ぐらいから、40才頃まで
およそ20年、テレビを見ることが
出来ない気分でした。
いつも「悲しみ」ばかりを
求める気分でした。
私は、今では、進んで
「悲しい」ものばっかりに
近づくことがなくなりました。
「悲しみ」を好んで
集めに行くような習慣は
すっかりなくなりました。
物悲しい音楽も
めっきり聞かなくなりましたね。
私には、「悲しみ」との
向き合い方について、
こんな変化の経験がありました。
私は、今では「悲しみ」の感情は、
多くも、少なくもなく、
必要なだけあればいいと
自分の経験からも
実感を持って思えています。
◆ ◆ ◆
「悲しみ」の感情が
「必要なだけあればいい」
これは、私たちにとっては、
「悲しみ」の感情が、
「癒しの感情」であり、
必要な感情だからこそです。
「悲しみ」の感情は、
私たちにとって
邪魔で不要な感情ではなく、
少なければ、
少ないほどいい感情でもなく、
必要な時に、必要なだけあると
ちょうどいい感情です。
<「悲しみ」が必要になる時とは?>
私たちが、望んだものが
手に入らないと分かって、
失望し、苦しんでいる時です。
私たちが、失いたくなかったものが
失なわれてしまったことで、
喪失感に苦しんでいる時です。
「悲しみ」の感情には、
私たちの苦しみを癒す力があります。
私たちに備わる「悲しみ」の
感情は癒しのパワーです。
例えば、とてもつらいことが
あったけれど、泣いたら
それなりにスッキリした。
この経験を持っていらっしゃる方も
多いのではないでしょうか?
「悲しみ」の涙を流すことで、
私たちはつらい思いや、苦しみを
洗い流すことができます。
「悲しみ」の感情には、
私たちのショックを洗い流し、
心の傷を癒してくれる力があります。
これが、私たちに備わっている
「悲しみ」の感情の役割です。
これが、「悲しみ」の感情が
必要な時に、必要なだけあると
ちょうどいい感情である理由です。
心理カウンセリングにおいて、
「悲しみ」の感情の位置づけは、
私たちの悩みや、苦しみを
「解決」に導く感情で、
「癒し」の力 です。
「悲しみ」の感情の力で、
心の傷が癒された私達は、
新しい人生をの扉を開くための
1っ歩を踏み出すことができます。
3:悲しんでいるのに、
癒されないのはなぜ?
「悲しみ」の感情は、
私たちを悩みや、苦しみから
解放してくれる、「癒し」の感情です。
しかし、
「私はいつも悲しんでいるのですが?
ちっとも癒されている感じがしません。
なぜですか?」
こう思われる方も
いらっしゃるかと思います。
いつも、悲しんでいるのに、
心が癒されていない方は、
心に以下のようなことが
起きているかも知れません。
◆ ◆ ◆
私たちは、時に、
「悲しみ」ながら、同時に
誰かを恨んだり、責めたり、
運命を嘆くことがあります。
私たちの恨みや、怒り、
不満の思いが、
私たちが「悲しみ」の感情を
十分に感じることを
邪魔していることがあります。
< 以下、例です >
<1>
「あのことさえ起こらなければ」
「あの人さえいなければ」
悲しみを感じながら、
こんなことを同時に考えたり
することがあると思います。
こんなとき、私たちの心の状態は、
悲しんでいると言うよりは、
誰かを恨み、運命を責めています。
つまり、怒っています。
「自分は被害者だから、
自分に被害を与えた
加害者に責任を取らせたい、
謝罪させたい、許せない」
この思いで頭も心も一杯に
なってしまっています。
「悲しみ」の感情と向き合う
心の余裕が十分にはない状態です。
私たちの心がこの状態にある時には、
悲しんでいても、
心が癒されることがありません。
<2>
「なんでこうなったのだろう?」
「悲しみ」ながら、
私たちの心に湧いてくる
この思い、疑念は、
「悲しみ」の感情を感じる
準備が出来ていない時に
出て来る「考え」で反応です。
この時、私達は、「悲しむ」代わりに、
自分に被害を与えた、原因や
犯人を見つけて、
怒りをぶつけたいと考えています。
自分の心の中にある
「悲しみ」の感情に目を向けることが
十分にはできない状態です。
私たちの心がこの状態にある時も、
悲しんでいても、
心が癒されることがありません。
<3>
「(こんなことになってしまって)
どうしたらいいんだろう?」
「悲しみ」ながら、
私たちの心に湧いてくる、
この思いの裏側には、
「この悲しい状況を早く変えたい」
この願いがあります。
「悲しみ」の感情が、自分には
必要のない余計なもののように
感じられています。
この時にも、私たちには、
「悲しみ」の感情を感じる
心の準備がありません。
私たちの心がこの状態にある時も、
悲しんでいても、
心が癒されることがありません。
( 例ここまで )
上記の<例>のように、
「あのことさえ起こらなければ」
「あの人さえいなければ」
「なんでこうなったのだろう?」
「(こんなことになってしまって)
どうしたらいいんだろう?」
私たちが、「悲しみ」を感じながら、
上記のような思いで、
考えて始めてしまうと、
私たちは、「悲しみ」の感情を
十分に感じることが出来なくなり、
心が癒されません。
私たちが、「悲しみ」ながら、
上記のような思いに囚われてしまう
理由の一つに、
私たちが、「悲しみ」を感じる時に、
同時に生じる、心の「痛み」があります。
「悲しみ」を感じる時の
胸がギューッと重苦しくなるような
「痛み」です。
人によっては、
この「痛み」を感じると、
イライラし始めて腹が立って来たり、
頭に血が上って来て怒り始めたり、
中にはキレてしまう
人も居たりします。
この反応は、
私たちが「悲しみ」の感情
を感じる時に表れる、
心の「痛み」を避けるために、
よくする工夫です。
「怒る」ことで、
純粋に「悲しむ」ことが
できなくなります。
その結果、「悲しみ」の感情と
向き合わずに済むので、
「悲しみ」の感情と同時に表れる、
心の「痛み」を感じずに済みます。
自分が不快になる「痛み」を避けたい
と私たちが思うのは、人情ですね。
人情なんですけれども、
心の「痛み」を避けようとして、
心の「痛み」を避けるために、
私たちが、誰かに腹を立てたり、
誰かを恨んでいる状態も、
また、不快な状態です。
不快な状態なだけでなく、
「悲しみ」を嫌うので、
いつまでも心が癒されず、
悩みや生きづらさが変わらない。
これもまた事実です。
これが、私達が、悲しんでも、
悲しんでも、心が癒されない時に
起きている可能性が高いことです。
私達が「悲しみ」の感情を
十分に感じて、心を癒すためには、
以下のような思いが必要です。
「とても悲しいことがあった。
しかし、それはもう取り返しが付かない。
二度と戻れない。戻ってこない」
「とても悲しいことがあった。
それは、自分ができるべストを尽くしても、
変えることができないことだった」
私たちの心が癒されるためには、
起きた事実をありのままに受け止めて、
ただ、「悲しむ」ことが必要です。
しかし、悲しい出来事の内容によっては、
「起きた事実をありのままに受け止める」
ことができるまでに、私たちには
十分な「時間」や、
他者の「サポート(支援)」が
必要なこともあります。
私たちが、十分な「時間」や、
他者からの「サポート(支援)」を得て、
悲しい出来事が起きた事実を
ありのままに受け止めることの
準備が整った後に、
私たちの心の中にある
「悲しみ」の感情を感じ切ることで、
悲しい出来事と出会ったことによって、
私たちが受けたショックや苦しみは
洗い流されます。
心の傷が癒やされます。
そして、今の自分を
新しく変えるために1歩を
踏み出すことができるようになります。
私たちに備わっている癒しの力である、
「悲しみ」の感情を十分に感じるための
準備を整えることをサポートするのが、
心理カウンセリングの
大事な役割の一つです。
ずっと消えない「悲しみ」があって、
つらくて、苦しい。
ずっと「許せない」ことがあって、
いつも考え続けている。
私たちのこのような生きづらさにも、
(純粋な)「悲しみ」の感情が持つ
癒しの力が助けになります。
なにか、心につらく、苦しいものがあり、
生きづらさを抱えられている方は、
ぜひ、一度、私のカウンセリングを
ご利用ください。お力になります。
次回は、
「恐れ、不安」の感情についてです。
また次回もどうぞお楽しみに!(^^)☆
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私達の癒しと元気の源【感情】(全8回)