2:親を『毒親』と呼ぶ副作用に苦しむ


【カウンセラー長谷川】:

親を「毒親」と呼ぶ人はにとって、
「毒親」という言葉は痛み止め薬
(ロキソニン)みたいなものなんだよ。

けど、その痛み止めの副作用は、
自己肯定感が下がってしまうことなんだ。

 

【柴犬うみ】:

「毒親」という言葉は痛み止め薬?
自己肯定感が下がってしまう?

それってどうして?あたし知りたい!

 

  • 親を「毒親」と呼ぶことで
    救われる人とは?
  • 子供は無条件に
    親を愛している
  • 親を「毒親」と呼ぶことで
    救われた人が抱える
    3つの自責の念
  • 両親への愛から生まれる
    「罪悪感」に苦しむ
  • 親を「毒親」と呼ぶことで
    自己肯定感が壊れる
  • <まとめ>
    「毒親」とは痛み止め薬

 

 

1:親を「毒親」と呼ぶことで
救われる人とは?

 

「毒親」という言葉に出会い、

自分の親を「毒親」と呼ぶことで

救われた気持ちになった方々が

いらっしゃることを

私は知っています。


それはとても自然なこと

だったと思います。


自分の親を「毒親」と呼ぶことで

救われた気持ちになった方々は

どなたも、とても優しい方々です。


その優しさのために、子供の頃に

両親に笑顔が少なく、険しい顔や、

難しい顔が多かったことに、

胸を痛めていた方々です。


両親が余裕を失い、
苦しんでいる様子に、

不安になりながら、心を痛めてきました。

 

 

2:子供は無条件に
両親を愛している

  

子供は両親を無条件に愛しています。


これは、本能的な愛です。


その子供が無条件に

愛している両親が、


心に余裕が無く、表情に笑顔が無く

子供に不機嫌で難しい顔ばかりを

向けて、苦しそうな姿を

見せ続けていたとしたら、

その子供はどうなるでしょう?


「自分の心の深いところから

 無条件に愛している人が 

 目の前で苦しんでいる。」


「それなのに、私には

 出来ることがなく、無力だ。」


子供は、このような

想いで自分を責め始めます。


親が苦しんでいるならば、

子供は自分を責めます。


両親の不仲や、離婚、

経済的理由の余裕のなさ、

事故の後遺症や、病魔、

どのような理由であっても、


両親に笑顔がなく、
苦しんでいるならば、

子供は無力な自分を責め始めます。


親を『毒親』と呼ぶことで

救われた方々は


自分が無条件に愛している

親の苦労や苦悩に

胸を痛めてきた方々です。


そして、同時に苦しんでいるように

見えた親を助けられなかった、

無力な自分を責め続けてきた方々です。

 

 

3:親を「毒親」と呼ぶことで
 救われた人が
抱える3つの自責の念


親を「毒親」と呼ぶことで

救われた方々は、


親が苦しむ姿を間近で見ていて、

「自責の念」を抱えていました。


それは、主に以下の

3つの「自責の念」でした。


< 自責の念1 >


私は、両親を苦しみから救うことはもちろん、

助けになることも十分にはできなかった。

この自責の念に無自覚の内に苦しんできました。


< 自責の念 2 >


上記の自責の苦しさが何年も続くと、

その苦しさゆえに、

自分の苦しさの原因である、

心の余裕を失い、苦しんでいる両親を

憎むようになります。


両親とは私たちの存在の土台である

「命」を私たちに渡してくれた人たちです。


そして、私たちの成功の基盤である、

才能や、気質を渡してくれた

人たちでもあります。


私たちが人生で経験する、感動したり、

感激したりしてきた良いものの多くは、

まずもって、両親がその一番の恩人です。


私達が普段、気付くことのない

深層心理の部分では、このように認識しています。


これが、私たちの心理の本質であるときに、

両親を憎み、嫌うことは、「恩知らず」であり、

私たちの心の中で、それは、「罪」として

認識されます


この「罪」の認識とは、「罪悪感」のことです。


私達は、「罪悪感」を深層心理に抱えると、

その「罪」に見合う「罰」を自分に与えようと、

無意識の内に(自動的に)、自分を責め始めます。


< 自責の念 3 >


私たちは、未成熟な子供として、親の保護を

必要として生まれてきます。


私たちは本能的に両親に依存し、

両親に様々な保護や優しさを期待するように

生まれ付いています。


ですが、私たちが完璧ではないように、

私達の両親も完璧ではありませんでした。


私達が自分の運命や人生をコントロール

できないように、

両親も、コントロールできない、

運命や人生の荒波に揉まれてきました。


そのために、心の余裕を失い、

子供が両親に対して自然に持つ期待に

十分に応えることが出来なくなってしまう。


そんなことが、現実にはあります。


両親が、両親の子供である、

自分の「期待」通りには振る舞ってくれず、


十分な優しさや保護を受け取れず、

両親には笑顔が少なかった時、


私達は痛みを感じるとともに、

両親に「怒り」や「恨み」を

感じることがあります。


前述のように、

私たちの深層心理の中では、

両親が私たちにとって最大の恩人です。


私たちの心が最大の恩人と感じている

両親に、「怒り」を感じ続けていると、


私たちの深層心理では、

自分をとても恩知らずで、

礼儀のない、ルール違反をしている

人間であると、無自覚の内に認識します。


そして、そのルール違反を「罪」に

感じることで自分を責め始めます。


◆  ◆  ◆

 

これが、<3つの自責>でした。

 

<3つの自責 >【 まとめ 】


< 自 責 1 >
両親を助けられなかった自分はダメ

< 自 責 2 >

自分で自分を責めている苦しさを、
両親のせいにしている自分はダメ

< 自 責 3 >
両親が期待通りなかったことに
怒る自分は、恩知らずでダメ


「毒親」という言葉に救われたような

気持ちになった方々は、


両親を助けることが

できなかったことで、

自分でも知らぬ間に、

上記のような自分を責める思いで

心が一杯になってしまっています。


そして、その心に抱える

自責の思いの重さで、

心が押し潰されそうなくらい、

苦しくなっていた方々です。


その方々が『毒親』の言葉に出会うと

どうなるでしょうか?


そうですね。


「あぁ、私だけが悪かったんじゃ

    なかったんだ」


私だけでなく、私の親も『毒親』

    だったのだから、おあいこ」


こう思うことが

できるようになります。


子供だった私に笑顔を向けられず、

私の期待に応えてくれなかった

親が「毒親」で悪かった


私を否定する言葉ばかり
投げつけてきた、

私に暴力をふるってきた

親が『毒親』で悪かった


そんな『毒親』を憎んできた

自分は正しかった。


こう思うことができる

ようになります。


そして、その分、深層心理にある

自分を責める思いを

ごまかすことができて、

気持ちを軽くすることができました。


毒親を宣告!


4:両親への愛から生まれる
罪悪感」に苦しむ

  

「両親を助けることができなかった」


これは私たちの深層心理では、

自分のもっとも身近で大切な、

愛する人を助けることができなかった。


このことを意味します。


そのことは、私たちの深層心理の中では、

人生で最大の失敗に感じられます。


そして、そのために、


「自分は両親を助ける

 ことができなかった」


この「自責の思い」を深層心理に

抱えるようになってしまいます。


「自責の思い」は、やがて、

重苦しい「罪悪感」となります。

 

ここがポイント!

 

深層心理に消すことのできない

「罪悪感」を 抱えていると、

自分のセルフイメージが、

「自分は失敗者で罪人」

このようなセルフイメージになってしまいます。

 

これは、自分では自覚しづらい

深層心理の部分のことですので、

このような思いを深層心理に抱えていても、

その自覚がない方がほとんどです。


この「罪の意識」(罪悪感)を減らし、

「自分は失敗者で罪人」

このセルフイメージを緩めてくれる

救いの言葉こそが、


『毒親』という言葉です。

 

前述のように


「私だけがは悪いのではなく、

 親も『毒親』だったのだから、

 仕方がなかった。」


親が『毒親』だったと思うことで、

こう思うことができます。

 

 

5:親を「毒親」と呼ぶことで 
自己肯定感が壊れる

  

「毒親」という言葉は、


「私は親を助けることに

 失敗した罪のある人間」


このようなセルフイメージを

緩めてくれる効果があります。


しかし、『毒親』の言葉には

副作用があります


これまでに、私に、


「私の親は『毒親』なんです。」


こう教えて下さった方に

自己肯定感の高い方は

いらっしゃいませんでした。


「私の親は『毒親』なんです。」

この想いと、

そう言わせる背景にある心理は

自己肯定感を壊してしまいます


「私の自己肯定感が低いのは

私が毒親に育てられたせいなんです!」


こう思われていらっしゃる

方もあるかも知れません。


しかし、それは
心理の観点から見ると

半分正解で、半分ハズレです。


たしかに、親に以下のような特徴が

あったならば、子供は自己肯定感を

持ちづらくなると思います。

 

< 子供が自己肯定感を
 持ちづらくなる親の特徴 >

<1>
子供に笑顔を向ける余裕がない

<2>
子供の話をいつも頭ごなしに
否定して聞かない

<3>
子供を怖がらせたり、暴力で
脅(おびや)かすことがある

<4>
両親が不仲で喧嘩が多い

<5>
両親の離婚

<6>
親の慢性的な病気などによる
心身の不調        など


このような特徴が一つ、

もしくは複数あったならば、


子供が自己肯定感を高く保つことは

難しいことだと思います。


親に上記のような特徴があるならば、

子供は胸を痛めます。


そして、同じ家族の一員

としての責任を感じます。


そして、親を笑顔にできない

自分を責めます


しかし、親にこのような

特徴があったとしても、


必ずしも子供の
自己肯定感が

低くなるわけではありません。


上記のような特徴が

あったとしても、


子供が、生まれながらに持っている


「自分の両親を肯定し、

 誇りに思う気持ち」


を保つことができていたならば、

自己肯定感を高く保つことができます


両親が自分に与えてくれている

ものについて深く理解していたり、


両親の美点を素直に尊敬できる

心を保つことが出来ていたならば、


輝く瞳でまっすぐ人の目が見れる

自分を保つことができます。


私たちは自分の両親を肯定し、

愛する気持ちを本能的に持って

生まれてきています。


ですから、


「自分の両親を肯定し、

 誇りに思う気持」は

自然なことでもあります。


逆もまたしかり。


両親の不仲や、

両親の心の余裕のなさから


本能的に生まれ持っている

両親への愛を、


素直に感じることや、

表現できる機会を失っているとき、

私たちは悲しみます。


悲しみは苦しみの感覚も伴います。

痛みが伴うこともあります。


ですから、悲しみの時間が

長く続くなら、


私たちは、自分に長く

苦しみや痛みを感じさせた

親を憎むようになります。


親を憎むと、前述のように、

自責の想いや、罪悪感が

生まれ、さらに苦しくなります。


その罪悪感によって

自己肯定感も下がります。


==========

※私達の自己肯定感とは、

=私達の心の中にある、

 両親への評価やイメージです。

 
==========

< 参 考 記 事 >

【自己肯定感】シリーズ

自己否定を止めるために【自己肯定感】(全6回)

==========


自己肯定感が下がるなら、

自分を信頼出来なくなります。


自信を失います。

怖れが強くなります。


その怖れために、何事にも

過剰に反応するようになります。


自分や周囲の人との

調和が取れなくなります。


人間関係を良好に

保つことが難しくなります。


不安が強くなって、

考え込み易くなったり、

落ち込み易くなります。


仕事にのめりこんで、

体を壊したりします。

 

これが、自己肯定感が

低い方の心理状態です。


そして、同時に

『毒親』の言葉の響きに、

「自分の罪が減るようなありがたさ」

を感じる方の心理状態でもあります。


しかし、
『毒親』という言葉は

親を非難して責める言葉です。


自分の心の中の親への

イメージを悪化させる言葉です。


『毒親』という言葉で

「自分だけでなく、親も悪かった」

こう思えることで、

「罪悪感」が減ったとしても、


『毒親』という、親を非難する

言葉を重要視することで、

自分の心の中での

親のイメージは悪化します。


連られて、自分のセルフイメージも

悪化します


そして、自己肯定感が下がります


これが、『毒親』という言葉を

重要視することと、

自己肯定感の低さとの関連でした。

 

これとは逆に、

両親を肯定出来ている分

私たちの自己肯定感は高まります


十分に自己肯定感がある状態では、

自分を他人と較べることがなくなります。


自分の容姿、
自分の仕事、

自分の環境に、自分の人間関係に

いつでも満足することができます。


満足しながらも、前に進もうとする

前向きな意欲が湧き続けてきます。


その意欲のために、

いつでもチャンスを逃すことなく

挑戦することができます。


私達は、このような

心理状態の時には、

『毒親』という言葉を必要としません。

 

 

6:<まとめ> 
「毒親」とは痛み止め薬

 

私たちは、愛している人の苦境に

直面すると、愛ゆえにその人の

助けになりたいと願います。


愛している人の
苦しむ顔、つらそうな顔を

笑顔に変えたいと願います。


それが、出来ない時、

私達は、自分で自分を責めて、

「罪悪感」を抱えてしまいます。


「毒親」という言葉は

私達が両親を愛しているからこそ持つ、

「罪悪感」を減らしてくれる言葉でした。


しかし、この「毒親」という言葉の

作用は「理屈」です。


言葉で表現できることは「理屈」です。

「理屈」で人は癒されません。


この『毒親』という

「理屈」を見ている間だけ、


「罪」から自由になれたような

気分に一時なることができます。


毒親」という言葉は、一服の清涼剤

痛み止めのロキソニンのようなものです。


これが『毒親』という言葉であり、

『毒親』という理屈(理論)です。


「私の親は『毒親』でした」

この理屈を意識している間、

一時だけ、気分がよくなることができます。


この裏を返せば、

『毒親』というきつい非難の

言葉が必要になるくらい、


親を憎んで、その想いに

苦しんでいる証です。


そして、憎しみとは、

愛の裏返しでした。


『毒親』の言葉を必要としている人は、

もともとは、親をとても

深く愛している人です、


その元の想いに帰ることが出来た時

その深く大きな親への愛の分だけ

自己肯定感が高まり

幸せになる土台が整います


ですから、

「自分の親は『毒親』でした」


こう私に教えて下さる方には

今より幸せになるチャンスがあります。


「自分の親は『毒親』だった。」

このような想いがあるために、

人生がうまくいっていない方。


今より幸せになりたい方は、

ぜひ、お越し下さい。お力になります。


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1:親を毒親と呼ぶ人は
幸せになれるチャンスがある

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