2: 日本人が日本を嫌いになる心理の理由は「稲作」にある


【カウンセラー長谷川】

日本人が日本を嫌いになる
心理の理由の一つは、
多くの日本人が千年以上
続けてきた「稲作」です

 

【柴犬うみ】

それってどうしてなの?
あたしは柴犬だから
「稲作」ってよく分からないから
その理由を教えて欲しいな

 

  • 日本での稲作はたくさんの
    悲しみと苦しみを生んだ
  • 日本人がハイリスクな稲作を
    やめられなかった理由
  • 日本人はお米は作れど
    食べられなかった
  • 押し付けられた稲作が生んだ
    飢餓と貧困、命の危険

 

 

※前回の記事からの続きです。
 前回の記事はこちらから←クリック

1:日本での稲作はたくさんの
  悲しみと苦しみを生んだ

 

心理カウンセラーという

心の専門家の立場からは、

以下のことが言えます。

 

私たちの日々の心の動きは、

私達が何を経験したかだけでなく、

私達や、私達のルーツ

生活習慣や、文化、歴史と

密接につながっていて、

切り離すことができない。

 

私達の心の動きは、

個人的な経験だけでなく、

遺伝子、周囲の環境からも

とても大きな影響を受けています。


ですから、心の課題を解消して、

元気を取り戻すためには、


個人的なトラウマの解消だけでは

不十分なことも多いです。


私達の心が受け取っている、

遺伝レベル、環境レベルの影響も

解消する必要があることが多いです。


今回は、上記の

<私達の心が受け取っている、

 遺伝レベル、環境レベルの影響>

の1例として、


多くの日本人が千年以上続けてきた

「稲作(米作り)」が私達の心理に

与えている影響について、

焦点を当てて解説させて頂きます。


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下のリンクページは、生物学者の
福岡伸一先生が、家族(ルーツ)の「記憶」が
遺伝することを紹介しているブログ記事です。

2:家族の記憶は遺伝する?

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「稲作」(米作り)の習慣が
私達の心理に与えている影響について>


実は、「稲作」を日本で行うことは、

とってもハイリスクなことでした。


もともとが南国の植物である

「稲」にとっては、常夏ではない、

四季のある日本は寒すぎる土地です。


日本では、ちょっと冷夏になるだけで、

「稲」は実らなくなります。


お米が収穫できなくなります。


そのために、日本の米作り(稲作)では、

厳格なスケジュール管理や

栽培のためのルールの徹底が必要です。


お米を実らせるためには、必要なことを

必要なタイミングで必ず、徹底して

やり遂げる必要があります。


私達が、スケジュールやルールを

優先して、守っている時、

私たちの< 心と体のニーズ >、


つまり、自分の心と体が

本音で望んでいる状態は、

後回しにされています。


それは、

ストレスがたまることです。


スケジュールやルールを守ると言うのは、

どんなに疲れていても、

どんなに苦しくても、


どんなに嫌でも、どんなに

他のことがしたくとも、


決められたことを優先して

やり遂げることを意味しています。


これにはとても大きな我慢や

あきらめを必要とすることがあります。


これは皆さんも、実感として

分かることだと思います。


夏休みだから遊びたい。

ぐうたらと過ごしたい。


けど、宿題が沢山出ているから、

やらないと、後で困る。嫌だな。


これですね。


この感覚が、日本での米作りに

付いて回っているものでした。


今でも、お米の農家さんは、

5月~10月頃、田植えから

お米の収穫が終わるまでは、


「家(のそばの田んぼ)から

 離れられない。」


こう、よく話しています。


毎日、田んぼのお世話をする

必要があるからです。


しかし、沢山の我慢や
ムリを重ねて、

稲作のスケジュールやルールを

完璧に守ったとしても、


前回お伝えしたように、

夏の平均気温が例年より、


2、3度下がるだけで、

凶作となってしまいます。

お米は実りません。


8月、9月、10月に

例年より寒い日が多かったり、


雨の日が多かったりするだけで、

もう、稲穂は実りません。


大凶作・飢饉となります。


このように、日本での稲作は、

とってもハイリスクです。


この不安定でハイリスクな稲作を、

生きるために延々と続けて

行かなければならなかったことが、


多くの日本人の苦労と

悲しみの原因の一つです。



2:日本人がハイリスクな稲作を
  やめられなかった理由


日本では、もともと、

気候が涼しい地域や山間部では、

冷涼な気候でも栽培できる五穀

(麦、キビ、豆、ソバなど)を中心に作り、

主食にしてきたようです。


日本は、国土の7割が

山林の山の国です。


ですから、そもそも、日本には、

稲作に適した、日当たりの

良い平野はとても少ないです。


しかし、遅くとも、7世紀には

「お米」は税金=年貢米(租)でした。

 

このため、日本人は、

税金を納めるために、

お米を作る必要がありました。

 

日本人にとって、

「稲作」を行うこととは、

税金の一部でした。 


現代人の感覚で言うならば、

多くの日本人にとって、


稲作とは、
所得税、年金税、健康保険税、

住民税などの天引きや、消費税の支払い

のような位置付けだったでしょう。


納税のために、気候が涼しい地域や

山間部でもお米を作らざるえず、


冷夏の時には凶作、飢饉となり、

家族の中に死者を出す

多くの悲劇につながりました。

 

3:日本人はお米は作れど 
  食べられなかった


お米が私たちの主食になったのは、

戦後のことと言われています。


戦前までは、地域差はあったものの、

お米は基本的に納税用の作物で、


全く食べられず、五穀(主に麦)が

主食だった地域も多かったようです。


お米に麦などの五穀を混ぜて

食べることができる地域もあれば、


年に一度だけ(!)お祭りの日だけは

お米を食べる地域もあったようです。


お米は基本的に、貴族や武士などの

ほんの一握りの支配者階級(富裕層)の

食べ物でした。


江戸時代、お米が食べられる

支配者階級である、武士の人口は、

全人口の内、10%以下だったようです。


ですから、お米を

作る側の多くの日本人は、


年貢米(納税)の義務のために、

自分の口には入らない

お米を作り続けてきました。


多くの日本人は、支配者から

理不尽に押し付けられた、

日本ではハイリスクな

「稲作」を必死に続けてきました。


しろかきする私
  < 田んぼのしろかきをする私 >


明治以降、納税が

お米(=年貢米)ではなく、

お金(現金)に変わりました。


しかし、「お米」が唯一の

売れる作物(換金作物)で、

「お米」を作って売ることでしか

現金を得られない農家も

少なくなかったので、


やはり、納税のための

現金収入を得るために、

無理をしてハイリスクな米作りを

続ける必要がありました。


もし、日本の支配者層が

日本の気候・温度では生産が困難な

お米を食べることを望まず、


麦を始めとした、日本でも十分に

栽培できる五穀を食べることを

選択していたならば、

納税も、麦などで良かったはずです。


納税が麦で良かったのなら、多くの

日本人の苦労や無理が減って、


今も、昔も日本人はもっとおおらかで、

笑顔が多かったと思います。


しかし、お米は他の穀物と

較べて美味しいです。


お米は神事にも用いる、お酒や

おもちの原料でもあります。


なので、お米は特別な日の楽しみとして、

主食の五穀の栽培に差し障りの無い範囲で、

無理せずに、栽培されるぐらいが

ちょうど良かったのだろうと思います。



  < 収穫した稲を天日干ししているところ >


日本の気候・温度では生産が困難な

お米が主要な税金(年貢米)として、


支配者から設定され、毎年、

大量のお米を無理して作らなければ

ならなかった理不尽さと苦労が


日本人から笑顔を奪い、神経質で

他人に厳しく、暗い顔にさせた

一因だと思います。

ちなみに、某テレビ番組で、

90歳以上のおばあちゃん、

おじいちゃん達に


「これまでの人生で一番

 おいしかったものは

 なんでしたか?」


この質問をして調査したところ、

 堂々の1位はなんと、

「ご飯(お米)」(!)でした。


昭和の始め頃に生まれの方々が

若かりし頃は、まだ「お米」は

めったに食べられない、特別に

美味しい憧れの食べ物だったようです。


ちなみに、2位はチョコレート、

3位はカレーライスだったと思います。

(※2位以下うる覚えです。)



4:押し付けられた稲作が生んだ 
  飢餓と貧困、命の危険


日本人は、日本の

気候・温度では、栽培する

ことのリスクが高い

「稲作」を続けることを、


税金の一部として支配者層

から強いられました。


そのことからの影響は、

日本人の気質の形成のみならず、


命の危険を増大させる

ことにもなりました。


日本の気候・温度では

リスクの高い米作りを、


納税のために、大規模に行うことを

強いられたために、凶作と飢饉が

度々起こるようになりました。


「ムリと我慢を重ねて稲作をしなければ

ならない」ことは、日本人の生死に関わる

重大な問題でもありました。

これは、かつて、ヨーロッパ諸国の

植民地となっていたアフリカの国々で

起きていることと似ています。


植民地となったアフリカの国々では、

支配者層の意向で、もともとは

自分たちの主食である、

イモやモロコシを作っていた土地で、


コーヒー豆や、カカオ、タバコなど

の輸出向けの商品作物を作るように

なりました。


そのために、食料の自給ができなくなり、

生活が苦しくなりました。


このアフリカ諸国の出来事は、

納税のための稲作を支配者層から

押し付けられたために、


主食であった五穀を作る土地と

労力を失い、苦労することとなった

日本人の姿と重なりますね。


アフリカの諸国は、

植民地支配からの独立を果たした

今でも、食料が輸入頼りになって

いる地域があります。


その結果、世界規模で揺れ動く

商品作物相場と、輸入食料相場に


生活を脅かされる不安定な状態が

長く続いています。


このことがアフリカの

飢餓と貧困の一因になっていると

言われています。

今でこそ、日本は、

全くの飽食の時代で、


飢餓と貧困は、遠いアフリカの

外国で起きていることに

思われるかも知れません。


しかし、支配者層の理不尽な

意向で、飢餓と貧困が人工的に

生み出されていたのは、


江戸時代までの日本でも

アフリカと同じように

起きていたことでした。


この支配者層(貴族・武士)の

理不尽な意向によって、


ハイリスクな稲作をし続け、

度重なる飢餓と貧困に苦しみ

続けてきたのが私達の国の歴史です。



毎年の「稲作」は多くの

日本人にとって命がけであり、

苦しいものでした。


私は、昭和1桁生まれの

おばあちゃん、おじいちゃん達

から「米作り」について

お話を伺ったことが度々あります。

 

「田植えや稲刈りは時期を
 逃すと収穫できなくなるから、 
 どうしても、ある時期に
 作業が集中する。 

 夜明けから、日暮れまで、
 そして、日が暮れても、
 松明(たいまつ)を燃やしながら
 田植えを続けたことも
 珍しくなかった。

 それが何日も続くから、
 本当に大変だった。」

◆  ◆  ◆


皆さんが、このような

苦労した記憶を鮮明に

覚えていらっしゃいました。


なので、
農作業が機械化された時は

本当にうれしかったそうです。


今でも、田舎の農家の方々は、

農業の収入だけではとても

返済できないような借金をして、


田植え用や、稲刈り用などの

農作業機械を購入します。


それぐらい、米作りの作業が

大変なことが骨身に沁みています。


米作りのつらく苦しい作業を

しなくて済むならば、

例え大きく赤字になったとしても、


農作業用の機械を、数千万円の

投資をしてちゅうちょなく購入する。


これが、今でも農家の方

(特に兼業農家さん)の現実です。


「飢餓と貧困」

「苦労の連続」


これが、日本人のDNAに

引き継がれている

「稲作の記憶」です。


この「稲作の記憶」、

つまり、

「失敗したら、手を抜いたら、

 私達は生きてはいけない。」


これが、日本人の

「神経質で失敗に厳しく暗い」

このような基本的な気質の

一因だと私は考えています。


それは、お客様との

カウンセリングの中で、

稲作を習慣としてきたために

起き続けてきた悲劇が


私達の深層心理に深刻な

影響を与えている様子を

何度も目にしてきたからです。


その中でも特に、

飢餓と貧困が生み出した、

「罪悪感」の影響は、


日本人の基本的な気質に

大きく影を落としていると言えます。


それでは、ハイリスクな稲作を、

行うことを強いられたために起きた、


飢餓と貧困が生み出した「罪悪感」とは

どのようなものか?


次回に続きます。


次回もお楽しみに(^^)/

3:日本人らしさとはムリとガマンと罪悪感?

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1:日本が嫌い!海外に住みたくなる心理の理由

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「日本が嫌い!海外に移住したくなる心の理由」
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