12:「記憶」の再生って何? / ホ・オポノポノ
ストレスフルな状況を
自分で終わらせることができる、
ハワイ発祥のセルフケアの方法である
ホ・オポノポノ。
しかも、シンプルでお金もかからず、
誰もがすぐに始めることができる
優れモノのセルフケア方法です。
しかし、なかなか
継続することへの意欲が続かず、
ついつい、実践することを
忘れてしまうことも多いのも
ホ・オポノポノです。
今回は、そのホ・オポノポノを
継続することへの意欲
(モチベーション)がぐんっと
高まるチャンスになる情報を
お伝えします。
心理カウンセラー
長谷川貴士です。
- ホ・オポノポノで言う、
「記憶」ってなんのこと? - 私達の日常は
シネコン瞬間移動 - 私達はいつも途中から
映画=記憶を見てる? - 全てが「記憶」の再生
いつでもホ・オポノポノ
1:ホ・オポノポノで言う、
「記憶」ってなんのこと?
ホ・オポノポノでは、
私達が人生で体験することは、
「全て『記憶』の再生です」
こう表現します。
これは、有名な言葉なので、
ホ・オポノポノを
すでにご存知の方は、
耳に覚えがある言葉かと思います。
実は、この言葉の
理解度の深さによって、
私達がホ・オポノポノの
実践を継続できるための意欲
(モチベーション)が左右されます。
逆に言うと、この
ホ・オポノポノの有名な言葉、
「全て『記憶』の再生です」
この言葉の理解度が低く、
この言葉の意味が
腑に落ちていないから、
ホ・オポノポノを実践すること
への意欲が低くなって、
ホ・オポノポノを忘れてしまう。
こうも言えます。
============
「全て『記憶』の再生」
============
この言葉の意味が
本当に腑に落ちれば、
ホ・オポノポノを実践することを
忘れてしまうことは
無くなると思います。
===========
※ 注 ※「全て『記憶』の再生です。」
この言葉の意味が本当に腑に落ちても、
「思考中毒」(=不安や心配、怒り、
悲しみなどに心が覆われてしまい、
考え続けてしまうこと。)
となってしまって、
1日の内、数時間程度、
ホ・オポノポノを忘れてしまう
ことはあるかと思います。
ホ・ポノポノと「思考中毒」
については、
今回の記事のテーマとは
別のお話ですので、
ホ・オポノポノにおける、
「思考中毒」の害や解決方法
について、関心がある方は、
下記のホ・オポノポノ記事
をお読み下さい。
◇ ◇ ◇
さて、まずはここで、
ホ・オポノポノで使われている、
「記憶」と言う言葉に
ついてのおさらいです。
<「記憶」とは?>
「記憶」とは、「魂の負債」とも
言い換えることができます。
「記憶」とは、「情報(データ)」
とも言われます。
「記憶」も、「情報(データ)」も
時間軸を入れて考えると、
「過去」に起こったこと。
「過去」に作られたもの。
こう言えます。
「過去」に起こったこと、
「過去」に作られたことで、
「魂の負債」として
「今」も残っているもの。
それがホ・オポノポノで言う、
「記憶」です。
この過去に起きたことの
「記憶(=データ)」が
私達の現在の日々に
「再生(再現)」され続けている。
これがホ・オポノポノの有名な言葉、
「(私達が日々で出会う出来事は)
全て『記憶』の再生です」
この言葉の意味です。
ホ・オポノポノで言う、「記憶」は
「魂の負債」(=「魂の借金」)ですから、
返済が必要なものですね。
その「記憶」=「魂の負債」の
返済方法とは、
ホ・オポノポノを実践することです。
つまり、一言でまとめると、
ホ・オポノポノで言う「記憶」とは、
私達が日々出会い、経験する、
全ての出来事の原因(背景)で、
ホ・オポノポノを実践することで、
返済することができる、
「魂の負債(借金)」のことです。
別の言い方をすると、
「因果(原因と結果)」の法則であり、
→原因=「記憶」=過去の行いと思い
結果=日々出会う出来事
「カルマ」の法則です。
→過去の行い・思い(=「記憶」)の
結果が日々に現れてくる。
< ここまで >
2:私達の日常は
シネコン瞬間移動
ホ・オポノポノの有名な言葉、
「全て『記憶』の再生です」
この言葉はよく「映画」に
例えられ、説明されます。
それは、以下のような感じです。
==========
「記憶」とは、
「映画のフィルム(=データ)」です。
私達の日常は、
その「映画のフィルム」に
記録されているデータ(=「記憶」)が
繰り返し「上映(=再生)」
されているだけです。
==========
こんな感じに説明されます。
ここから、さらに、私が
突っ込んで解説させて頂くなら、
ホ・オポノポノでは、
私たちの人生を、
===========
「シネコン瞬間移動」
===========
だと考えています。
シネコンとは、
シネマコンプレックス
(映画館複合体)のことです。
< シネコンの建物 >
すでにご存知の方も
多いかと思いますが、
シネコンとは、
一つの建物の中に、
異なる映画が上映できる部屋が
いくつもある映画館のことです。
規模の大きなシネコンでは、
映画を上映する部屋が、
10部屋以上もあったりします。
その大きなシネコンでは、
一つの建物の中にある
10以上の部屋で
全て異なる映画が
同時に上映されているわけですね。
アクション映画あり、
ラブロマンスあり、
学園ものもあり、
アニメもあり、
時代劇やSFもあります。
このようなジャンルも違うし、
それぞれストーリーも別々な映画が
1つの映画館の建物の中で、
バラバラに同時進行して
いるのが、シネコンです。
このシネコンで
上映され続けている
多種多様な沢山の映画の
一つ、一つが、
ホ・オポノポノで
言うところの
「記憶(=魂の負債)」です。
ホ・オポノポノが言う
ところの私たちの人生とは、
まさに、このシネコンの状態です。
シネコン、つまり、
==========
ジャンルがバラバラな
沢山の種類の映画
=「記憶(魂の負債)」が、
次々と上映され続けていく状態が、
私たちの人生、私達の日常そのもの。
==========
ホ・オポノポノでは
こう考えています。
私達の日常は、
無数の異なる部屋で、
無数の異なる映画
=「記憶(魂の負債)」が
同時に上映され続けている
(=再生され続けている)
シネコンの建物の中を、
瞬間移動で、
あっちの部屋に行ったり、
異なるこっちの部屋に行ったり、
そして、戻ってきたり、
また違う部屋に行ってみたりと、
ひっきりなしに動き回っている
ようなものです。
次々と異なる映画
=「記憶(魂の負債)」を
上映の途中から見させられているのが、
私たちの日常で、私達の人生です。
3:私達はいつも途中から
映画=記憶を見てる?
ホ・オポノポノによると、
私たちの日常で再生されている
映画=「記憶(魂の負債)」は
どれも、始めからでなく、
途中からです。
私達の日常は、いつも、
すでにずっと前から始まっている
映画=「記憶(魂の負債)」を、
途中のシーンから見始めています。
それは、いきなり銃撃戦の
シーンかも知れません。
引用:映画COM様
「過去」の銃撃戦のシーンの
「記憶」が、私達の「今」に再生されると、
私達は、自分が銃撃戦のさなかに
居るような恐怖や、不安を感じる
出来事に、「今」巻き込まれたりします。
また、ただ、理由なく、唐突に、
銃撃戦のシーンの只中に居るような、
恐怖や不安で心が一杯に
なってしまうかも知れません。
再生される「記憶」は
涙の再開のシーンかも知れません。
引用:IGM様
「過去」の涙の再開のシーンの「記憶」が、
私達の「今」に再生されると、
私達が、涙の再開のさなかに居るような
感動や、感激を感じる出来事に、
「今」出会ったりします。
また、ただ、理由なく、唐突に、
涙の再開のシーンの只中に居るような、
感動や感激、温かさで心が一杯に
なってしまうかも知れません。
このよう再生された「記憶」シーンに
それまでにどんな経緯があったのか、
私たちは何も知らないままに、
そのシーンを見て、聞いて、体感します。
これが私たちの日常です。
<「記憶」の再生の例>
▶朝起きるのがつらい。
起きたくない。
■記憶(魂の負債)の再生
毎日、やりたくないことを
やらせれていた、
やらざる得なかった時代の
「記憶」が再生されている
■ 心理(心の傷)の理由
・自由が制限されていた。
・自分が望むことは、
みんな反対されていた。
・自分は楽しんではダメという
深層心理の思い込みがある。
◇ ◇ ◇
▶通勤がつらい。行きたくない。
家から出たくない。
■記憶(魂の負債)の再生
自分が望まないことに
参加させられていた、
参加せざる得なかった時代の
「記憶」が再生されている
■心理(心の傷)の理由
・参加することを無理強いされた。
・自分に自信が無く、人が怖い
◇ ◇ ◇
▶ 職場に苦手な人が居る
【 記憶(魂の負債)】の再生
■記憶(魂の負債)の再生
嫌われたり、恨まれたり、
妬まれたり、誤解された時代の
「記憶」が再生されている
■心理(心の傷)】の理由
・対立していて、
嫌っている家族がいる
・自分に自信が無く、
自分が悪いと思ってしまう。
< 例ここまで >
このように私達の日常には
多種多様な「記憶」が
常に、次々と再生されています。
しかし、私達は、
「記憶」が再生されている
ことに気が付きません。
そして、なぜ?
その「記憶」を自分が
抱えているのか?さえ分かりません。
このため、私達が
日々経験することの多くは、
原因不明です。
「偶然起きた。」
「運が悪かった。」
「やったラッキー!」
「神様ありがとう!」
このように思えることも
多いですよね。
そして、時には、
「なんでこんなことが?」
「どうしてこんな目に遭うの?」
このように考え込んでしまう
ことも少なくないです。
しかし、そんな風に考えてみても、
その確かな理由は全く分からない。
そんなことが沢山あります。
それは、私達が、すでに
ずっと前から始まっている
映画=「記憶(魂の負債)」
の途中のシーンから、
いつも見始め、体験しているからです。
「なぜ?どうして?
こんなことが?」の
答えである
「こんなことが起きた『理由』」は
私達が生まれる
ずっと、ずっと前に起きて、
「記憶」(=魂の負債)と
なってしまっている出来事です。
この私達が生まれる
ずっと、ずっと前に起きて、
「記憶」として停滞して
しまっている出来事が、
私達の人生で、ノンストップで
「再生」され続けています。
その状態が続いて行くのが
私たちの人生です。
4:全てが「記憶」の再生
いつでもホ・オポノポノ
ホ・オポノポノでは
私達の日常を以下のような
ものだと考えています。
◇ ◇ ◇
私達の日常では、
私たちが存在することを
許されている、時間と空間
(=私達が、日々の
日常生活を送る、この地球上)
をスクリーンにして、
「魂の負債」として
たまっている「記憶」が、
映画のストーリーのように
次々と上映され続けています。
映画とはフィルムやデータです。
つまり、私達の日常で
起きていることの全ては、
「今」、ここで、ライブ(生)で
起きていることではありません。
「過去」に起きたことの
データ(情報、記録)が
この地球上の私達の日常に
ノンストップで
再生され続けているものです。
日常で再生され続けている
過去のデータは、
一つではありません。
夜空の星の数のように、
数えきれないぐらいの
無数のデータが、
次々と切り替わりながら、
途切れることなく、
再生され続けています。
ホ・オポノポノでは、私たちは、
多種多様な映画(=「記憶(魂の負債)」)
の再生の中を、日々、一瞬、一瞬、
生きていることになっています。
そして、その映画
(=「記憶(魂の負債)」)は、
ストーリーの途中からしか
観ることができません。
そればかりか、
その途中から見る映画(=「記憶」)の
それまでのストーリーを
知ることもできません。
ですから、毎日、まさに
「今」、ここで経験している状況が、
どのような経緯で、
「今、ここ」に起きて
いることなのか?
私達は、本当のところは
全く知ることができません。
なぜ、それを私(達)が
経験しなければならないのか?
その「理由」も分かりません。
私たちが知ることができない
デヴィニティー(=神聖なる存在・神様・宇宙)
が作成した青写真(ブループリント)
(=設計図・行程表・マスタープラン)
のもとに、
いつも、ベストなタイミングで、
1つの映画(=「記憶」)が
途中のシーンから再生されます。
また、しばらくすると、
また、ベストなタイミングで、
別の映画(=「記憶」)に切り替わり、
これまたその映画の途中のシーンから
再生される。
これが、私達の人生の裏側の仕組みだと、
ホ・オポノポノでは考えています。
なので、私たちは、日常で
経験することが何で起きたのか?
どうしてそうなったのか?
なぜ?出会ったのか?
「どうして、私の人生に
こんなことが起こるのだろう?」
こう考え始めると、失敗します。
自分が分かる範囲、つまり、
考えられる範囲で出した答えは、
必ず間違っているからです。
なぜなら、私たちは、
繰り返しになりますが、
(ホ・オポノポノによると、)
映画(=「記憶」)を途中からしか
見ることができません。
私達は、私達が抱えている
膨大な映画=「過去(=記憶=魂の負債)」に
何があったのかについて知りません。
そして、さらに、なぜ?
その映画(=「記憶」)を
「今」、見ること、体験することが
ベストなのか?は、
デヴィニティー
(=神聖なる存在・神様・宇宙)
にしか分かりません。
私たちの日常、「今、ここ」で
経験していることが、
どのように始まり、
どのような経過を経て、
「今、ここ」で、
自分が経験しているシーン(場面)まで
たどり着いているのか?
私達は、その理由について、
本当のところを知りませんし、
知ることができません。
私たちにはそのことを
知る手立てがありません。
私達が出来る事は、すでに
始まっている映画(「記憶」)を
途中から見ることだけです。
このために、私たちは、
「なぜ?こんなことが?
なぜ?こんな状態に?」
この問いの正解に
たどり着くことができません。
なので、考えて出した答えは
不正解なものです。
その不正解を正解と信じて
行動すると、失敗します。
ホ・オポノポノでは、
以下のように考えています。
毎日を生きていて、
私たちが分かることは、
まさに、「今、ここ」で
経験している出来事、状況、状態の
映画=「記憶(魂の負債)が、
自分の中に、
まだ、消去されずに残っていて、
それが、まさに、「今、ここ」で
再生されている。
このことだけ。
そして、私達が、
ストレスフルな状況を終わらせて、
人生に自由と平和を増やして
いくために出来る事は、
ホ・オポノポノを実践して、
この地球上に、私達の人生として
ノンストップで再生され続けている
「記憶(=魂の負債)」を
消去し続けていくこと。
ホ・オポノポノでは
このように考えています。
「あれこれと考え続ける事」や
「思考中毒」は、
私達が幸せになるためには不要です。
◇ ◇ ◇
どうだったしょうか?
私の今回の解説は、
(私達が人生で体験することは、)
「全て『記憶』の再生です。」
このホ・オポノポノの
有名な言葉をより深く理解する
ことの助けになったでしょうか?
「全て『記憶』の再生」
つまり、
「記憶」はノンストップで
24時間、365日再生され続けています。
これが、腑に落ちることが出来れば、
私達は、迷うことなく、
いつでも、ホ・オポノポノを
実践していれば良いと分かります。
< いつでもホ・オポノポノの私の例 >
■ 犬の散歩をしながら
■ 食事の後で食器を洗ったり、
拭いたりしながら
■ お風呂の湯舟につかりながら
■ 信号待ちのカウントダウンの
代わりに、
「ありがとう、アイスブルー」と繰り返す
■ TV番組を見ていて、
CMが流れ始めたら
■ 目をつぶり、瞑想をしながら
■ ストレッチをしながら
体をほぐしているとき
■ 日課のジョギング中に
あとは、思い出したときはいつでも。
私はこんな感じで、出来る時に、出来るだけ、
ホ・オポノポノを実践しています。
< 家庭菜園で大根(5㎏)を収穫する私 >
私達の日常に「記憶(=魂の負債)」が
再生され続けていることも、
ホ・オポノポノを実践して、
「記憶(=魂の負債)」を消去することも、
どちらも特別なことではありません。
顔を洗う、歯を磨く、トイレに行く、
みたいな、日常的で身近なことです。
そして、ホ・オポノポノで
実践することも、
特別なことはありませんでした。
お金もかからず、
練習や訓練も必要のない、
誰もがすぐにできることでした。
次回の初めには、もう一度、
そのホ・オポノポノの実践方法の
<おさらい>について
解説させて頂きますね。
今回の記事をお読み頂いた皆様に、
ホ・オポノポノを実践することへの
疑問や迷いが無くなって、
ホ・オポノポノへの
特別感が無くなって、
ホ・オポノポノへの
心の敷居がぐっと下がって、
ホ・オポノポノが
より身近に感じられて、
その分、皆様の、ホ・オポノポノを
継続することへの意欲
(モチベーション)がぐんっと
高まるきっかけになっていたなら
うれしく思います。
次回は、私が、日常で
ホ・オポノポノに取り組む中で、
2万5千回に1回以下の確率でしか
起きない偶然が起きたお話しを
紹介させて頂きます。
それは、
「ホ・オポノポノカード」
にまつわるお話です。
※ホ・オポノポノカードとは?
ホ・オポノポノのメッセージが
書かれた、トランプのような
54枚1組のカードです。
次回の記事も、お読み頂ければ、
また1っ歩、ホ・オポノポノ
への理解が深まり、
ホ・オポノポノの実践を続ける
ことへの意欲(モチベーション)が
高まると思います。
それが、ストレスフルな状況を
一つ、一つ終わらせてくれて、
私達の日常に、笑顔を一つ、一つ
増やしてくれます。
また、次回もお楽しみに!
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ホ・オポノポノについて、
お電話や対面で、ご相談や
ご質問を受け付けています。
お客様と一緒にクリーニング
させて頂きます。
《 ご予約はこちらから 》
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11:私達はすでに完璧で幸せ?って本当? / ホ・オポノポノ
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